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パフォーマンス理論 その16 集団について

Japan In-depth / 2019年7月11日 7時0分

視座の高さの影響を説明してみる。面白いことに世界一を目指す集団と日本一を目指す集団では、結果は大きく違っても、少なくとも主観的な努力度(辛さ)は双方さほど変わらないことがある。視座の高さが違えば戦略から戦術まで、戦場選びですら違い、それによって結果が変わる。例えば日本一になるという前提であれば私は400Hでなくても400Mという手もあったかもしれないが、世界一を目指すなら競技人口が少なく技術要素が高い400Hを選ばざるを得なかった。そもそも戦場が視座の高さによって変わってくる。視座が低い集団は、ああだこうだ選択肢を議論できるが、それは低い目標に至る道はたくさんあるからに過ぎない。一番上に行こうとすれば選択肢はほとんどない。


特に日本のスポーツ集団は西洋諸国と比べても同質性が高い。このような同質性の高い集団は、一体感を好むので、中の人間は居心地も良く仲間との結びつきも強くなるが、同時に馴れ合いも生じやすい。馴れ合えば仲間意識を感じることの方が結果を出すことより優先され始める。視座が低い集団では、平均値に引き寄せようという力が嫉妬による足の引っ張りあいや冷笑主義、集団内政治、好き嫌いによる判断、形式主義の形で現れ、自分が悪影響を受けるようになる。同質性は容易には変わらないから、属する集団の視座の高さ、目標の高さは重要だ。


視座が高い集団は当たり前のレベルが高い。目標が勇ましかったり、ビジョンが美しいとつい人は惹かれてしまうが、目標の高さよりもむしろ言葉にもされていない当たり前のレベルの方がよほど競技力に影響していたと感じている。例えば足腰ではなく大腿四頭筋、ハムストリングス、中臀筋など分けて会話するのが当たり前の集団では、これらの役割を分けて説明しなければ会話についていけない。結果これらの筋の動きや役割を理解していく。また世界一になるのが前提の集団では、いちいち国単位の話が出ないので気がつけばこれにも馴染んでくる。このように視座が高い集団では何気ない日常や普通はこんなもんだよねという基準のレベルが高い。この力は逆にも働くので恐ろしい。


集団は大体共有された口癖を持っているので、それを観察すれば当たり前のレベルが少しは見える。強い集団は結果だけを見据えているために物事をシンプルにして本質を掴もうとしているので、その気になれば小学生でもわかる言語に変えられる。結果を出すには努力を絞る必要がありロジックはシンプルではなければらないからだ。だから口癖が本質的で、質問も端的であることが多い。反対に強くないチームは、ふわっとした言語が多く、定義が難しい言葉をよく使っている。わかりやすく言えば流行り言葉が多い。弱いチームは総じて”ごっこ”の空気が漂う。ごっことはそのように見せてあるだけで、そうではない状態のことを指す。


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