EUの産みの親は「日系人」 今さら聞けないブレグジット 1
Japan In-depth / 2019年7月19日 4時21分
近代におけるヨーロッパ統合思想の先駆けとされるのは、オーストリア=ハンガリー二重帝国のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵(1894〜1972)が著した『パン・ヨーロッパ』という本である。
実はこの人の母親は、東京・牛込の骨董品屋の娘で、店先で落馬した白人外交官(当時、日本は世に言う文明開化の時代だった)を介抱したことから恋仲となり、やがて近代日本における国際結婚の第一号となった人で、その名をクーデンホーフ光子(青山みつ)という。
写真)ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーと妻の青山光子
出典)Wikimedia Commons; パブリックドメイン
つまりこの伯爵は、日本人の血を引いており、出生地も東京で、青山栄次郎という日本名まで授かっている。フルネームもリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギーだ。ただ、2歳で帰国しているので、日本語はまったく話せなかったらしい。母国語はドイツ語で、英語、フランス語、ラテン語も堪能であったのだが。
一家の居城は現在のチェコ東部ボヘミア地方にあり、城そのものは現存している。ただオーストリア=ハンガリー二重帝国(以下オーストリア)の上流階級の常として、子供たちは皆ウィーンで教育を受けた。
ウィーン大学在学中に第一次世界大戦が勃発し、兄(ヨハネス光太郎=日本生まれ)は徴兵され、弟(ゲオルク。オーストリア生まれ)は志願兵として出征したが、本人は胸部に疾患ありと診断されたため、兵役を免れた。
戦後、ヨーロッパが再び戦火にさらされることがないようにと、前述の『パン・ヨーロッパ』を世に問い、自らヨーロッパ統合を目指す運動の旗振り役となった。
1923年に出版されたこの本はベストセラーとなり、独仏の首脳までが彼の思想に賛意を表し、1930年代の早い時には当時の国際連盟おいて「ヨーロッパ連合」の創設が具体的に討議されるであろう、と見られるまでになった。
ところが1929年の世界大恐慌を機に、ドイツではナチスが台頭し、ついには二度目の世界大戦を経験することとなってしまう。
この間に、伯爵の新たな母国となったチェコ・スロバキアはナチス・ドイツに征服され、伯爵は命からがら米国に亡命する。後の日本では、この時の逃避行が映画『カサブランカ』のモチーフになった、との言説が流布していたが、これは事実ではない。
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