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統一通貨ユーロが持つ意味(上)今さら人に聞けないブレグジットその7

Japan In-depth / 2019年8月8日 18時0分

市場が統合された以上、通貨も統合されてよい、というのは自然な流れだと思えるが、ものごとはそう単純に割り切れるものではなかった。


端的に言えば、独自の通貨を持つということは、政治的独立の象徴でもある、と考えられていたからだ。1991年にソ連邦が崩壊して、新たに独立国がいくつも生まれたが、多くは経済的なデメリットも承知の上で、新たな独自通貨を導入したこともその証拠だ、とする人も少なからずいた。


しかし一方では、古代ローマにあっては現在のイングランドから北アフリカまで、その版図の全てで共通の通貨が使われていた事実もあるし、青山栄次郎ことリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が旗振り役となっていた、第一次世界大戦後のパン・ヨーロッパ運動においても、「国境を廃止する政治的統合は、まだ先の課題であるとしても、ヨーロッパ全土で通用する通貨と切手の新規発行ならば、1930年代の終わり頃までには可能ではないか」 とする意見が聞かれたという。



▲写真 青山栄次郎ことリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵 出典:Wikimedia Commons; Public domain


なんたる皮肉か、シリーズ第1回で述べたように、1929年の世界大恐慌を転機として「国家主義のヨーロッパ」が復権し、1939年、世界は再度の大戦を経験することとなった。


話を戻して、統一通貨ユーロの構想が浮上した当時は、「ドイツ人がマルクを、フランス人がフランを手放すはずがない」と考える人が多かったわけだ。


1970年代に、大統領補佐官として米中の国交回復やヴェトナムとの和平交渉を担当してノーベル平和賞を受賞し、日本でも有名なヘンリー・キッシンジャー博士でさえ、この構想に対しては、「あまりにロマンチックな話だ。計画倒れに終わるだろう」との予測を述べたほどである。


博士はユダヤ系ドイツ人として生まれ、子供時代にナチス政権の反ユダヤ政策のせいで米国に移住してきたという来歴の人だし、その博士論文は、ナポレオン戦争以降ヨーロッパの秩序がいかにして保たれてきたのか、というテーマで、本来はヨーロッパ統合を強く支持する立場だったに違いないのに、だ。



▲写真 ヘンリー・キッシンジャー博士(2013年6月19日 米・ニューヨーク) 出典:flickr; Gerald R. Ford School of Policy, University of Michigan’s photostream


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