日産自動車、お家騒動の系譜
Japan In-depth / 2019年9月14日 18時0分
しかし、その前に日産労働組合委員長の塩路一郎が立ちはだかる。石原の積極策は労組の反対を無視する形で行われたため社内は大混乱に陥る。さらに、石原を社長に引き上げたもう一人の天皇・川俣会長が塩路に同調したことから、3人の天皇による権力争いが混乱に拍車をかけた。
エネルギーの大半を労組対策に費やした石原は、「道半ば」(石原)で会長に退く。後任の久米豊も石原の「グローバル10」の拡大路線を引き継ぐが、90年代に経営危機に陥る。後を受けた辻義文は座間工場、豪州工場の閉鎖などリストラを推し進めたが、辻は日産が仏ルノー傘下に入った99年に「私にも経営責任がある」として会長職を辞す。
後任社長となった塙義一も頼みの通産省(現経産省)の支援も得られず、99年3月末には債務超過の危機に瀕していた。日産の「グローバル10」の悲願は皮肉にも経営破綻の危機によるルノーとの経営統合後に実現する。ゴーンによる合理化で、ルノー・日産・三菱自動車連合の17年の世界シェアはトヨタグループを抜き去り、VWに次ぐ12.3%に達したのだった。
▲写真 カルロス・ゴーン 元会長 (2010年12月8日)出典: flickr; Adam Tinworth
ただ、ゴーンが行った改革の実態は5工場閉鎖による2万人を超える首切りと系列破壊によるコストカット、そして左派系組合つぶしだった。「これらの方策は我々が考えていた再生計画とほぼ同じだったが、長年のしがらみで実行できなかった」。ゴーンを連れてきた男、塙は生前こう話していた。その象徴が旧プリンスの主力工場で左翼運動の総本山だった村山工場の閉鎖だった。
▲写真 日産村山工場跡地のプリンスの丘公園に建つ「スカイラインGT-R発祥の地」の碑(2017年8月20日)出典: Wikimedia Commons; Qurren
ゴーンが日本にやってきて真っ先に実行したのは日産・追浜工場の自動車生産ラインをタダ同然でルノーに供与させることだった。筆者は取材に動き、日立製作所や工作機械大手の森精機、ロボットメーカートップ・ファナック、そして日産の協力会社が総力を挙げて磨き抜いた生産技術を奪われる事件をスクープした。
日産がルノーの軍門に下った99年3月末から半年後の9月、ルノーは日本の自動車担当マスコミをパリに招待した。このプレスツアーに同行した筆者らは、当時のルノー本社で会長兼CEOのシェバイツァー(現ルノー名誉会長)のインタビュー。ルノーの工場見学やパリ郊外にある自社サーキットでのルノー車の試乗会に駆り出された。
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