1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

私のパフォーマンス理論 vol.37 -注意の向け方について-

Japan In-depth / 2019年10月5日 7時0分

私のパフォーマンス理論 vol.37 -注意の向け方について-

 


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)


 


【まとめ】


・競技者は、「注意をいかにして扱うか」が上達の近道となる。


・注意の向け方は、(1)見る、(2)観る、(3)眺めるの3種類。


・自分の注意が何により散りやすいかを理解しておくことも、うまく扱えるようになる1つの鍵である。


 


我々は世界をあるがままに見ているのではなく、注意を向けたものを見ている。よく人は見たいものを見ているというが、無意識に注意が向いている場合も多い。注意がどこに向かっているかによって自分にとっての世界は変わる。


 


注意を向けない世界は非言語の世界だ。仏教的に言えば何も分かれていない無分別の世界、本来無一物の世界と言える。例えばジル・テイラーが奇跡の脳という本の中で、脳卒中で左脳がやられた時私と壁の違いがわからなくなったと書いている。このような世界では非言語であるがゆえに切り分けもなく、自分と外界も切り離されていないので、注意の方向もない。つまり自分も含め世界は全て一つであり、それを場所によっては有であると言ったり、無であると言ったりする。


 


通常私たちは言葉で世界を分け、注意を向ける先を意識的無意識的に選んでいる。そして言葉の切り分け方は人によって違う。例えば足腰という切り取り方をする人は、足腰全体に矢印が向く。ハムストリングという人はもう少し細分化された部分に矢印が向かう。内転筋の付着部辺りに注意が向けられる人は、その一点に注意が向かう。右足で地面を踏むと言った途端、その足が地面を踏む瞬間に注意が向けられる。このように言葉は、言葉がその形やイメージや関係性をはっきりさせ、外界と切り離す効果がある。だから注意を向けるという行為は、言語で分別された世界の、どこに矢印を当てるかということになる。競技者にとっては扱いづらい注意をいかにして扱うかが上達のカギを握る。


例えばハードルを跳ぶ際に、ハードルの上をすり抜けることに注意を向ける場合と、地面を蹴ることに注意を向ける場合も、”するっ”とした擬態語的動きに注意を向ける場合もある。注意を向ける先が変われば動きは変化する。難しいのは変えたい対象そのものに注意を向けたからと言ってそこが変わるとは限らない点だ。右足を前にだしたいと思っている時には、右足のことを考えるよりも右腕を引いたほうが前に出るということが起こる。さらには右足はみぞおちから始まっているのだと、架空の身体をイメージしそこに注意を向けたほうが大きく前に足が出るということが起こる。


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください