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12月12日総選挙へ ブレグジットという迷宮 最終回

Japan In-depth / 2019年11月2日 19時37分


▲写真 イギリス上院(貴族院)出典:Wikimedia Commons;UK Parliament


いわゆる普通選挙権が認められたのは第一次世界大戦終結後(1918年)のことであるが、この時点ではまだ、男性は21歳以上、女性は30歳以上で、戸主または戸主の妻であることが条件だった。このため、これは普通選挙ではなく「戸主選挙制」に過ぎないと見なす歴史学者も多い。現在では、18歳以上の英国民すべてに選挙権がある。


これに先駆け、1884年にも選挙制度改革が行われ、それまで無権利だった小規模自営農民(ただし男性のみ)に選挙権が与えられたのだが、その際、有権者3万5000人について1人の議員が選出できるよう、選挙区制が再編成された。


ひとつの選挙区から当選者は1人で、他の者は1票及ばなくても落選、比例代表制はないので日本の総選挙のように「比例で復活当選」もない。この単純小選挙区制というシステムもまた、現在まで引き継がれている。


このように、選挙制度の歴史そのものが古いため、政党の歴史も古い。


もともと、議会が貴族や地主によって占められていた時代には、王位継承権者をプロテスタントに限るか、カトリックにも認めるか、という形での派閥抗争があり、これが政党の起源だと言われるが、産業革命期に、地主階級の利害を代表して保護主義をとなえる保守党と、新興ブルジョアジーの利害を代表して自由貿易を主張する自由党という二大政党制の図式が、まずは確立した。


労働党は、1900年に、労働代表会議(労働組合運動の全国組織。わが国の連合に相当すると思えばよい)を母体として、つまり労働組合運動の政治部門として旗揚げされた。


これが自由党にとって代わり、保守党・労働党の二大政党制となるのは第一次世界大戦後のことだが、これについては、前述のように女性に選挙権が(限定的ながら)付与されたことが大きな理由のひとつだとされる。


多くの女性票が、大戦後の混乱の中で、大英帝国をどのように再構築するべきか、という小難しい党内論争に明け暮れていた自由党ではなく、「大砲よりバターを」という分かりやすい反戦平和主義をとなえた労働党に流れたのだ。


実は単純小選挙区制の問題点もここに集約されている。


自由党の没落と労働党の台頭は、女性票の動向だけが理由ではもちろんなく、20世紀に入って英国の階級構造にも変化が見られ、中産階級の利益を代表するのは自由党ではなく保守党だと見なされるようになったことが底流にある。つまり、中産階級の利害を代表する保守党に対して、労働者階級の利害を代表するのが労働党だ、と考えられるようになったわけだ。ただし、英国の階級社会というものはかなり複雑で、厳密に言うとこれもステレオタイプに過ぎないということは、シリーズ第2回の中で指摘させていただいた。


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