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アニメと時代劇どこが違う? 横行する「危うい正義」その1

Japan In-depth / 2019年11月15日 10時38分

そもそも『西遊記』『三国志』と言えば、これに『水滸伝』『紅楼夢』を加えて「中国四大名著」と称されるほど、長きにわたって読み継がれてきた。ちなみに、いずれも明朝から清朝の時代、17世紀から18世紀にかけての作品だ。


16世紀末に、かのシェイクスピアが世に出た当初など、主としてキリスト教会から、


「こんな血生臭い芝居を次から次に書くとは、一体なにを考えているのだ」


といった非難にさらされていたことは、本誌の読者であれば多くがご存じだろう。



▲写真 ウィリアム・シェイクスピア 出典:パブリックドメイン


彼が唐突に著作活動をやめて田舎に引きこもってしまったのは、こうした「逆風」に耐えかね、心が折れてしまったのではないか、と考える英文学者も、少なからずいる。


単に、安楽な老後を過ごせるだけのカネができたからだろう、と見る向きもあって、どちらが正しいかなど分かろうはずもないが、近年の日本に例を求めると、スラップスティックな作風で知られる筒井康隆氏が、世間の「良識」からの批判に、


「あたしゃキレました。プッツンします」


と述べて断筆を宣言したことがある。


古今東西、こうした例は枚挙にいとまがない。


どうしてそのようなことになるのかと言えば、世の中に、


「正義の姿を借りた、無内容な正論」


がまかり通っているからである。


簡単に言えば、こういうことだ。


悪がまかり通る世の中では、たしかに安心して暮らせないし、


「暴力はいけません」


と言われたならば、誰も正面切っての反論などできない。


だからこそ私は言いたいのだが、ここにはある矛盾がはらまれているのではないだろうか。たとえばイジメという救いがたい悪に対して、まあ「非暴力・不服従」という思想もあるけれども、やはり一般的には「無法な暴力を正義の力で制圧する」ような行為が賞賛されるのではないだろうか。他者を尊重できない人間は懲らしめられて当然、というのが普通の人たちの発想だろう。


言うまでもないことだが、なにが正義でなにが悪なのか、というのは、きわめて難しい問題である。しかしながら、いや、そうであるからこそアニメのアンパンチに対して、暴力反対という議論を持ち出す人は、いささか単純に過ぎると、私には思えてならない。


たとえば高齢者に根強い人気のあった『水戸黄門』などは、ある意味で「国家権力の横暴」であるし、間もなく映画やドラマが放送されるであろう(早いもので、もうそんな季節か笑)時代劇の定番『忠臣蔵』に至っては、もはやテロ行為ではないか。


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