1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

『武士道』著者が受けた仕打ち 横行する「危うい正義」その3

Japan In-depth / 2019年11月29日 11時38分

その後、1884(明治17)年に米国に私費留学し、ジョンズ・ホプキンス大学で学んだ。この頃から、伝統的なキリスト教信仰には疑念を抱くようになり、クエーカーの集会に参加するようになった。


クエーカーは17世紀にイングランドで生まれたプロテスタントの一派で、初期の信者が皆、神秘体験をして体を震わせると言われたことから「震える人=クエーカー」と呼ばれたのだが、信者たちはこの呼称を好まず、フレンズと名乗っている。言うまでもなく友人の意味だが「友徒会」と訳される場合もあるようだ。


この集会で新渡戸を見初めたのが、後に生涯の伴侶となるメアリー・エルキントン(日本名・新渡戸万里子)である。そう。これまた当時としては非常に珍しい、国際結婚をした人でもあった。



▲写真 新渡戸稲造と妻メアリー・エルキントン 出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)


その後、ドイツへの官費留学を経て、1891(明治24)年に帰国。札幌農学校の教授となるが、夫婦ともに体調を崩したため、休職してカリフォルニアで療養した。前述の『BUSHIDO』はこの時期に英語で書かれ、1900(明治33)年に出版された。


第一次世界大戦後、1920年に国際連盟が設立されると、前掲書によって得た名声のおかげで、事務次長に選ばれている。


キリスト教精神に基づく平和主義が彼の信念であったが、1926年に元号が昭和と改まってからの日本は、無謀な侵略戦争への道を突き進んだ。


このため、新渡戸の晩年は不遇を極めたのである。


1932(昭和7)年、愛媛県松山市で講演の後、地元の新聞記者らと旅館で懇談し、概略以下のようなことを述べた。


「日本を滅さんとするものは共産党か軍閥である。そのどちらが怖いかと問われたら、今は軍閥と答える。過激な軍国主義が、過激な共産主義思想を広める土壌になるのだ」


実はこの発言、オフレコの約束があったものだが、なぜか記事になってしまい、軍部はもとよりマスコミからも新渡戸は猛烈なバッシングを浴びることとなった。私も、NHKの特集番組を見て初めて知ったのだが、


「新渡戸博士に自決を促す」


という社説を掲げた新聞まであったという。


社説を任されるからには、その新聞において最優秀と目される記者なのだろう。それが、公器たる新聞紙上で個人を名指しし、自決(自殺)を促すとは。


前回も触れたが、見当違いな「正義感」は、人間をここまで愚劣にするものなのだ。


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください