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紫電改と疾風は本当に傑作機?

Japan In-depth / 2019年12月1日 11時0分

また長距離飛行の疲労も伴った。本土防空戦では米軍機は進攻側となった。離陸から日本上空まで、日本上空から基地に帰投するまで長時間飛行をする立場となった。その点でも存分に戦えなかったのだ。(*2)


紫電改や疾風の活躍にはこの戦闘距離の有利があったのである。


 


■ 迎撃システムの有利


第2は防空システムの支援をうけた結果である。


本土防空戦では日本機は防空システムの支援を得られた。対して米軍機にはそれはなかった。これも紫電改や疾風が米新鋭機と対等に戦えた理由だ。


レーダ情報利用の利益は大きい。戦争後半には本土各地にはレーダが整備されている。さらにそれら情報を集約し判断する防空指揮機能も存在していた。


日本戦闘機部隊は一方的にその利益を得られた。米軍機の来襲地域や概略の状況を事前に察知できたのである。うまくすれば日本戦闘機は米軍機を待ち伏せできた。また奇襲による被害も回避できた。飛行訓練中に攻撃される。あるいは地上で撃破される。そのような最悪事態を避けられた。


また、日本戦闘機は自軍対空射撃からも利益を得られた。対空砲は米軍機に脅威を与える兵器である。その点で日本戦闘機を直接的に支援したわけではない。ただ、米軍機の足を引っ張った結果、日本戦闘機が有利に戦いやすくなったのである。



▲写真 P-51は最高のレシプロ戦闘機とされる。紫電改、疾風を超える高性能機であり欧州・太平洋の両戦線で日独軍機を圧倒した。写真はスミソニアン博物館HPより。制空権確保により地上撃破のおそれがないため派手な塗装をしている。 出典:米陸軍写真


■ 救難の有利


第3は救難の有利を得た結果だ。これも日本機だけあって米軍機にない要素である。


日本パイロットは撃墜されても脱出救難を期待できた。実際に本土防空戦ではパイロットの救難活動は軍民問わず積極的に行われていた。


また不時着も選択肢となった。戦争末期は本土には多数の飛行場が設営されている。大損傷をうけてもそのいずれか、あるいは河川敷や田畑に滑り込めばどうにかなる判断も成り立った。


そのため強引な戦いができた。脱出すれば、不時着すればどうにかなるからだ。その最たる例が震天制空隊で知られるB-29への体当たりである。爆撃機に体当りして落下傘で生還する。実際にそのような戦いも全くの不可能ではなかった。


米軍機にはそれはなかった。少なくとも海上まで移動しなければ落下傘による脱出も危険であった。無事陸上に脱出しても日本捕虜となってしまうのだ。


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