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日本文化と古代イスラエル 笑うに笑えない都市伝説 その2

Japan In-depth / 2020年1月27日 18時0分


▲画像 イスラエルの十二氏族 出典: Public domain


実を言えば、私も古代イスラエルの地を追われたユダヤ人の一氏族が、日本までやって来た可能性があるかないかという点に限れば、あっても不思議ではない、と考えている。彼らが中国大陸まで来ていたことは、文献でちゃんと確認できるからだ。


しかし、この話には別の側面もあって、各地で迫害されながらも民族的アイデンティティを保っていたユダヤ人が、古代の中国大陸ではその生活文化を受容して、社会に溶け込んで行った。皆「遠祖がユダヤ系であるところの中国人」になったわけだ。このこともまた、資料で確認できる。


さらに言えば、日本に稲作が伝播して弥生時代の幕が開いたのは、最近の研究では紀元前10世紀頃とされている。古代イスラエル王国は、まだ健在であった。


ただ、その後の日本列島に、原始的な国家権力が形成され、古墳時代。そして飛鳥時代に移行する、具体的には5世紀以前の「この国のかたち」が、もうひとつはっきりしていない。だからこそ失われたユダヤの氏族まで持ち出して想像をたくましくする人が後を絶たないのではないだろうか。



▲写真 大仙陵古墳(仁徳天皇陵) 帰属: Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省


空想を楽しむのは個人の自由だが、歴史論争を無用に混乱させるのは、いただけない。令和という新たな元号を採用した今、これまでタブーとされてきた天皇陵の発掘調査を行い、いにしえの日本文化の姿とその源流を「学術的に」探求することは、皇室をどう考えるかという問題とは、明らかに別だろう。


その結果、もしも古代イスラエルと古代日本に文化的なつながりがあったとしたら、それもそれで、大いに面白いではないか。私は反中嫌韓でもなければ反ユダヤでもない。生きている間に少しでも多くの、絵空事ではない知識を得たいと思っているだけの話だ。


(その3に続く。その1)


トップ写真:弥生時代の大規模な環濠集落で知られる吉野ヶ里遺跡 出典:パブリック・ドメイン


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