令和の朝日新聞大研究 1 国宝級の反面教師
Japan In-depth / 2020年3月15日 11時0分
▲写真 サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂と日本全権委員団。米・サンフランシスコ市 1951年9月8日 出典:作者不明
「単独講和」とは条約を結ぶ相手をアメリカなど自由民主主義陣営に属する国だけに限るという方法である。実際にはその相手国は48ヵ国にも達していたから「単独」ではなく、「多数講和」だった。
「全面講和」とはソ連や中国という共産主義陣営の諸国もすべて含めての条約調印だった。ソ連などはアメリカ主導の対日講和にはいろいろと文句をつけてそのままでは応じなかったのだ。
朝日新聞はこの「全面講和」を強く推し、「単独講和」に猛反対した。だが日本は「単独講和(実際には多数講和)」という道を進み、独立と平和と繁栄を得た。もし「全面講和」を待つ道を選べば、日本は独立を遅らせ、ソ連側に傾き、アメリカとの距離をおき、まったく異なる不幸な運命をたどっただろう。
日本は朝日新聞の主張とは反対の選択肢を選ぶことで大成功したのだ。
第二は1960年に構築された日米同盟だった。
この年1月に現行の日米安全保障条約が結ばれた。それ以前にも両国間の安全保障の条約は存在したが、占領時代の偏りが多い不完全な内容だった。
1960年の安保条約は日本が米軍の駐留を受け入れるかわりに、日本が第三国から軍事的な攻撃や威嚇を受けたときは、アメリカが日本と共同で日本領土を防衛することを誓約していた。米軍の強大な抑止力が日本の防衛に取り込まれるというわけだった。
この条約を基盤に築かれた日米同盟は東西冷戦中にはソ連の脅威への抑止となった。日本の防衛の最大の支柱となった。憲法九条により自国防衛に足かせ手かせを自ら課した日本にとって外部からの軍事脅威をはね返す強力な安全保障となった。戦後の日本の賢明な選択だったといえよう。
日本国民の日米同盟支持はいまや圧倒的多数になる。主要各政党も共産党以外はすべて日米同盟とその基盤の日米安保条約を支持している。もしこの日米同盟がなかった場合、ソ連は日本の共産化を軍事手段を使ってでも実現しようとしただろう。
だが朝日新聞は1960年当時、この日米安保条約に反対したのだ。日本の安全保障は憲法九条があればだいじょうぶというような趣旨のキャンペーンをソ連への融和とともに大きく打ち上げた。正面からの社説でこそ、猛反対、大反対をやや抑えていたが、その他の紙面をすべて動員して、「安保反対論」をあおりたてた。
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