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人類と感染症7 スペイン風邪、西部戦線異状あり

Japan In-depth / 2020年4月20日 16時58分


▲写真 第一次世界大戦・西部戦線の様子  出典:IMPERIAL WAR MUSEUM


感染は、フランス兵、イギリス兵、さらには敵であるドイツ軍にも波及した。ウイルスにとっては、連合国軍とドイツ軍の戦いは関係がない。双方に容赦なく襲い掛かる。疲れ切った兵士の体は、格好の“ターゲット”となった。塹壕をつくって戦う地上戦だけに、感染は容易だ。


スペイン風邪に襲われた戦場は悲惨な状況だった。『史上最悪のインフルエンザ』(P203)は、詳細に記録する。500人程度のあるアメリカ軍の部隊では、移動中にインフルエンザのため次々に隊員を失い、目的地に着いた時にはわずか278人になっていた。戦地の病院には、負傷兵に加え、スペイン風邪とみられる人が6万8760人も入院していた。


スペイン風邪は感染するだけに、扱いは極めて困難だった。医療関係者や救急車の運転手は、負傷兵と区別するように、指示されていたが、それは無理だった。救急車の後ろの荷台に、負傷した兵士を乗せる際、スペイン風邪かどうか、問いただす余裕はないのは明白だ。


1918年外科医として移動病院に勤務していた医師の言葉が残っている。


「病室という病室は機関銃でやられた負傷兵でいっぱいだ。雨、泥、インフルエンザ、そして肺炎。いくつかの病院では、あまりに混みすぎていて働くのもままならないくらいだ。」(史上最悪のインフルエンザ、P209。ジョージ・ワシントン・クライル博士)


「あらゆる種類の感染症患者がおり、彼らは何らかの感染防御の手だても施されず、イワシの缶詰のようにぎっしり病室に詰め込まれていた。たったひとりの眼科医が数百人の絶望的状態の肺炎患者の面倒を見ていた」(同)。


医療現場もまた、戦場のように壮絶だった。あるドイツ軍の将軍は「兵士がことごとくインフルエンザにやられ弱り果てて、武器を運ぶこともできない」と語った。


戦争どころではない。スペイン風邪の大流行で、第一次世界大戦の終戦は早まり、18年11月に迎えた。


ともあれ、兵士の苦しみをよそに、国際社会の権力構造は、変わった。アメリカはヨーロッパに代わって、世界の“盟主”となった。国際協調の枠組みをリードする姿勢を示し、国際連盟の創設を提唱した。ウイルソン大統領は意気揚々としていた。第一次世界大戦について「戦争をなくすための戦争」と言い切った。


 


▲写真 ウイルソン大統領 出典:Flickr;  The Library of Congress


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