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「努力の人」菅義偉 自民党総裁選その1

Japan In-depth / 2020年9月13日 15時0分

「努力の人」菅義偉 自民党総裁選その1


西村健(NPO法人日本公共利益研究所代表)


【まとめ】


・菅氏のキーワード、「厳しさ」「敵が少ない」「努力の人」。


・声診断で、「人を動かす力」に長けていることが指摘される。


・更なる発展には、自分の言葉で周りを巻き込んでいく力を強めていくこと。


 


自民党総裁選挙がある今月、特別企画を始めることにした。大手メディアでは政治家の発言やネタ、エピソード、人間関係を紹介していますが、より深く「人間力」「政策」で見ていく。1名を除いて面識はない。菅さんは多人数の会議で一緒になっただけだし、岸田さんは高校の先輩だけれど接点は少ない。こうした若輩者の私が言うのもおこがましいところだが、国民のために、やっていきたいと思う。


第1回は菅義偉さんの「人間力」。現内閣官房長官であり、今回の総裁選でも当選が有力視されている。参謀タイプであり、首相への野心を出してこなかったこともあり、今回の出馬は意外だったという人もいるだろう。


■菅さんのたたき上げではない?キャリア


1948年12月6日、秋田県湯沢市(旧秋ノ宮村、旧雄勝町)出身。血液型O型。父親の菅和三郎さんはイチゴ農家でブランド化に成功した人物、豪放磊落だったとのこと。地元の町議会議員も務めた。教員が家族に多いことなど地元の名士でもあるのはあまり知られていない。秋ノ宮小学校(現湯沢市立雄勝小学校)、秋ノ宮中学校卒業、県立湯沢高校に進学。湯沢高校は進学校であり、作詞家の東海林良、俳優の菅貫太郎などの母校でもある。旧秋ノ宮小学校近くの家あたりから湯沢高校までの距離(18キロ程度)を2時間かけて通学したらしい。


父親は満州からの引き上げ組であること、コメどころでもかかわらずコメを選ばなかった農家であることから類推するに苦労を重ねた家だとは思うが、菅さんは進学クラスに所属していた模様。就職のため上京し、段ボール工場で働いていた。その後、法政大学を受験して進学。空手道部で活動しながら、アルバイトに明け暮れたが、法学部第一部政治学科を卒業。電気通信設備の保守点検・工事等を担う建電設備株式会社(株式会社ケーネス)に2年勤務した後、政治家秘書に。小此木彦三郎という大物議員に仕えた。


11年に渡って秘書をつとめ、通商産業大臣秘書官を務めた。38歳で横浜市議に当選。2期務め、影の横浜市長と言われるなどした。


その後、衆議院議員に出馬し当選。総務副大臣、総務大臣、そして、内閣官房長官。衆議院議員としては8期務めている。加藤紘一氏の「加藤の乱」にも同調したり、派閥に忠誠を誓ったわけではなく、派閥を変えたりしている。安倍さんを見て、ここぞと支援して、その信頼を得て、仕え、長く支えてきた。安倍政権がこれだけの長期政権になったには、菅さんの貢献にあるといっても過言ではない。その抜群の有能さで一気に駆け抜けた感じである。


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