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「蔑視」は森氏だけの問題か(上)スポーツとモラル その1

Japan In-depth / 2021年2月22日 15時38分

その後、後継人事に焦点が映ったが、これも大きく報道された通り、Jリーグ初代チェアマンで日本サッカー協会会長も務めた川淵三郎氏の名前が最初に上がった。





ところが、この人事案までが「老老交代」などと世論の逆風にさらされたのである。





たしかに、83歳の森氏が失言の責任を取って辞任したというのに、後継者が84歳で、それも辞任した森氏の指名だと聞かされては。わきまえてなどいられるか、と言い出す人が大勢現れたのも当然の成り行きなのだろう。





そうではあるのだけれど、ここはやはり「川渕委員長」が最善手ではなかったか。





批判にも一理あるにせよ、私のようなサッカー者にとって、Jリーグを産み育てて日本にサッカー文化を根付かせた功績は不朽のものであるし、その後、日本のバスケットボールを建て直した実績もある。





こちらは初耳だという読者もおられるかも知れないが、実はJリーグの旗が上がった1990年代には、バスケットボールも全国の中学高校でブームになっていた。最大の理由は『SLAM DANK(スラムダンク)』(井上雅彦・著 集英社)という漫画が大ヒットしたことであると聞く。ともあれこのブームに乗って、バスケットボールもプロリーグを立ち上げてはどうか、という声が高まったのだが、ここで問題が生じた。





日本のバスケットボールは、かつてのサッカーと同様、実業団のリーグが頂点にあったのだが、前述のプロ化構想によって立ち上げられたJBL(バスケットボール日本リーグ機構)においても、あろうことかプロ化に消極的な実業団が主導権を握り、プロ化を目指して旗揚げされた市民クラブ(新潟アルビレックスなど)は冷や飯を食わされた。最終的には複数の市民クラブがJBLを脱退し、独自のbjリーグを立ち上げる。





これが2005年のことで、以降10年にわたって内紛が続いたのである。その過程で一度はJOCから資格停止処分を受けて五輪に参加できなくなり、FIBA(国際バスケットボール連盟)からも、ガバナンスに欠けるとして同じく資格停止処分を受けた。





この事態に対応すべく、またFIBAからの勧告もあって、両リーグは2015年に内紛の収束を目指す「タスクフォース」を設立。チェアマンとして招かれた川渕氏は、わずか四カ月で両リーグを統一し、Bリーグの旗揚げを実現したのである。





早大サッカー部時代は「槍の川渕」と称された、突破力自慢の選手だったが、指導的な立場となってからは、調整能力と組織運営能力を世界中に知らしめた。年齢的なことばかり言う人もいるが、当人が「人生最後の大仕事」との意気込みを語ったと聞いているので、なんとかそれを現実のものとしてもらいたかった。





しかしながら、もはや決定は下された。橋本聖子・五輪担当大臣が新たな委員長に就任し、大臣の後任には(閣僚は公益財団法人などのトップにはなれない)丸川珠代・元担当相が復帰することが決まった。





早速、新委員長の略歴などを確認しようと検索をかけてみたところ、驚いたことに





「橋本聖子 セクハラ」





が急上昇ワードになっていた。この問題については、次回。





トップ写真:東京2020評議会および理事会で講演する東京2020組織委員会の森喜朗会長(2021年2月12日) 出典:Yoshikazu Tsuno - Pool /Getty Images




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