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あらためて死刑廃止論ずべき(下)「墓石安全論」を排す 最終回

Japan In-depth / 2021年4月28日 19時0分

しかし、こういうことも考えていただきたい。





犯罪人引渡条約というものがあるが、日本は今のところ、米国と韓国との間でしか、これを締結できていない。死刑制度を廃止している国の官憲にとっては、死刑制度を維持している日本に殺人容疑者を引き渡すと、間接的に死刑に追いやる可能性ありとして、この条約を結ぶことを躊躇せざるを得ない。そういう事情があるのだ。





現に最近、20年近く前に人を殺し、南アフリカに逃げていた人物が、新型コロナ禍で生活が立ち行かなくなった(!)として日本大使館に出頭してきた。この件では、当人が日本で裁判を受けることを希望している、との理由で移送が実現したのだが、もしもそうでなかったら、かなり面倒なことになっていた可能性が高い。





第二次大戦後にヨーロッパ諸国の多くが死刑廃止に踏み切ったのは、意外に思われるかも知れないが、ナチスによるユダヤ人虐殺に対する反省からである。









▲写真 収容されていた男性、女性、子供から取り外された靴の数々(2004年12月8日撮影 ポーランド・アウシュビッツ強制収容所博物館) 出典:Scott Barbour/Getty Images





虐殺が法理論上どのように理解されるかというと、死刑制度が乱用されたのだ。





ナチスの論理によれば、ユダヤ人は「ドイツ国家の敵」なので、国家が国家の敵を死刑にしてなにが悪い、となる。もちろん死刑制度がむしろ一般的だった当時も、裁判抜きで多くの人を死刑にするなど、本来は認められることではなかった。乱用されたと述べたのは、つまりそうした意味だ。念のため補足しておくと、人道的な立場から死刑廃止を訴える声は19世紀から徐々に高まってきてはいたのだが、第二次大戦後、前述のような経緯で一挙に弾みがついたのである。





よい例が英国で、この国ではかつて、7歳の女の子が放火の罪で処刑されるなど、世界で最も頻繁に死刑判決が出される国であったが、まずは1823年に、反逆罪と殺人罪を除いて死刑判決を下さないことになり(英国は成文憲法を持たない国なので、判例がそのまま法律として機能する)、大戦後、1969年に死刑廃止が議会で可決された。最大の理由は、欧州人権条約を批准するためである。





当時の世論調査によれば、英国民のおよそ80%は死刑存続を望んでいたが、時の政府(保守党ウィルソン政権)は国際的地位の向上を優先させたわけだ。ただし、反英テロが激化しつつあった北アイルランドでは、1998年まで死刑が存続していた。





 その後サッチャー政権時代に死刑復活論議(ロンドンなどでもテロリストの活動が活発化したため)も取り沙汰されたが、結局実現していない。





まだまだ書きつくせない問題ではあるのだが、無実の罪で死刑にされるような人が相次いで出るようだと、法の支配に対する信頼そのものが揺らぎかねない。この一点だけでも死刑廃止論の方が論理的にも倫理的にも優越していると私は考えるのだが、どうだろうか。





(その1、その2、その3、その4)





トップ写真:イメージ 出典:oscar h/Pixabay




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