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福島で成長した「田原君」の話

Japan In-depth / 2021年4月28日 22時44分

同じ城下町でも、八代と相馬は歴史も文化も違う。八代藩は五十四万石の熊本藩の支藩だ。南に薩摩藩と接するとはいえ、圧倒的な存在感を示す。外敵の圧力が弱いためか、幕末から明治にかけては内紛を繰り返した。現在も、頑固者を称する「肥後もっこす」が褒め言葉だ。やや協調性に欠ける県民性がある。スポーツでは、野球やサッカーなどチーム競技より、剣道や柔道など、個人競技が強い。





相馬藩は対照的だ。六万石の小藩で、北に接する仙台藩六十二万石とは戦いを繰り返した。伊達藩に接する小藩で滅ぼされなかったのは相馬藩だけだ。生き残るために一致団結し、佐竹家、石田家(三成)、本多家、土屋家など有力者との連携を深めた。スポーツではバレーボールが盛んだ。





相馬家は代々英明な当主が多いことで知られている。この伝統は今も残っている。現在、市長を務める立谷秀清氏の実力は関係者から高く評価されている。東日本大震災からの復興は、立谷氏がリードし、市役所・市民が一丸となって成し遂げたものだ。立谷氏は現在、全国市長会の会長を務めるが、人口10万人以下の市からの選出は史上初だ。









▲写真 全国市長会会長として地方六団体と総務大臣との意見交換に臨む立谷秀清・相馬市長(2020年12月14日) 出典:相馬市ツイッター





熊本をルーツにもち、東京で育った田原君には相馬は新鮮だったろう。彼が育ってきた環境とは「空気」が全く違ったはずだ。





現地で田原君を指導してくれたのは、横山英彦・企画政策部秘書課長(当時)だ。有能な人物で、立谷秀清相馬市長の信頼も厚い。立谷市長は「相手の立場を理解し、柔軟に対応できる人物」と評する。





横山課長は、一ヶ月間のインターンの間に、東日本大震災から復興を遂げつつある相馬市の様々な現場を案内し、田原君に市民と接する機会を提供してくれた。









▲写真 相馬市の被災者向け高齢者施設である「井戸端長屋」にて。著者提供。





写真は、被災者向け高齢者施設である「井戸端長屋」での光景だ。東日本大震災により、相馬市では高齢者の孤立が進んだ。この問題を解決すべく、相馬市が立ち上げたのが、高齢者の集合住宅だ。60代~90代の高齢者が入居し、共に生活する。食事は食堂で一緒に摂ることにして、入居者の交流を促進した。これが相互支援に繋がる。会話は健康に関する話題が多いようで、地元で診療する医師は「同居者から勧められて、病院を受診し、重度の高血圧がわかったケースもありました」という。





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