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次期駐日米大使の「死んだ魚」逸話

Japan In-depth / 2021年5月16日 23時0分

「箱の中身は大きな魚で、すぐに死んだサバだとわかった。しかもすでに腐敗が始まっていた。魚が腐ると、どうなるかはわかるだろう。そしてエマニュエル氏のサインしたカードが入っていた。その後すぐに同氏はこの魚の送付を得意げにメディアに触れ回った。私を民主党系の政治組織から排除することが目的だったと思う」





このように長い歳月が過ぎでもなお、なまなましく語り継がれる伝説の政治実話なのである。





この出来事はエマニュエル氏の激しい気性や、すざましい攻撃力を象徴していた。





イスラエルから移住してきたユダヤ系の父を持つエマニュエル氏はいま61歳、シカゴで生まれ、育ち、大学卒業時から政治活動に身を投じた。当初はシカゴ地区の消費者権利主張組織の一員となり、やがて連邦議会の上下両院での民主党候補の人選や支援をフルタイムで実行するようになった。





エマニュエル氏は1989年からはシカゴの民主党の大物市長リチャード・デイリー氏を支援した。そして1993年1月からスタートした民主党のビル・クリントン政権では大統領補佐官となる。さらに2002年には連邦議会の下院議員選挙に出て、当選し、3期、務める。その間、エマニュエル氏は下院で民主党議席を増やすことに寄与して、政治活動能力の声価を高めた。









▲写真 ラーム・エマニュエル氏夫妻とビル・クリントン元大統領 2期目再選のセレモニーにて(2015年5月18日) 出典:Brian Kersey/Getty Images





2008年の大統領選ではエマニュエル氏はヒラリー・クリントン候補を支持して、バラク・オバマ氏と民主党指名を争う戦いを進めた。しかしオバマ氏が勝って、大統領になると、こんどはオバマ大統領の首席補佐官に抜擢されたのだった。そしてその後の2011年には地元のシカゴの市長選挙に名乗りをあげて、みごと当選した。同市長は再選を果たし、2018年いっぱい務めて、三選は求めないこととなった。





エマニュエル氏のこうした政治軌跡をみると、民主党ではきわめて重視され、実績をあげた活動家であり、指導者であることがわかる。バイデン政権でも一目も二目もおかれるわけだ。





しかし政治の世界でのラーム・エマニュエル氏というと「死んだ魚」に象徴されるように非常に闘争的、攻撃的な特徴を一貫してみせてきた。





1992年のクリントン大統領当選直後の選対本部での祝賀集会ではテーブルに並んだ料理の皿をステーキナイフを振りかざして、つぎつぎに刺し、こんごの課題を乱暴な言葉で叫び続けた。また1998年ごろイギリスの当時のトニー・ブレア首相がホワイトハウスを訪れ、スピーチをする直前に、「気をつけて発言しろよ」という脅し文句をぶつけたことも報じられた。





エマニュエル氏がバイデン大統領にも同政権にもきわめて近く、大きな影響力を持つことは事実である。その点が日本への利益ともなるだろう。だが同氏がこれまで歩んできたアメリカの国内政治での血のしたたるような闘争の激しさも事実として認識しておくべきだろう。その点ではまったくの型破りのアメリカ大使が東京に赴任してくるのである。





トップ写真:ラーム・エマニュエル氏(2019年8月1日) 出典:Steven Ferdman/Getty Images




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