1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

知られざるトラテロルコの虐殺 それでも五輪は開催された その1

Japan In-depth / 2021年6月23日 7時0分

当然ながら政府も大いなる意気込みで準備に取り組み、1億5,000万ドルの投資を行っていた。現在の邦貨に換算して、いくらくらいになるのかよく分からないが、まず半世紀前の話であることと、メキシコの物価水準や米ドルとの貨幣価値の格差など、いくつかの数値から推測するに、少なく見積もっても1兆円を下回ることはなさそうだ。





もちろん多くはインフラの整備に回されるわけだが、当時のメキシコの国民感情は、このことをあまり歓迎していなかった。





「そんなカネがあるのだったら、貧しい人たちの生活を守るために使うべきだ」





というのである。





そして、大会開催(10月12日)を目前に控えた10月2日、トラテロルコの虐殺と呼ばれる事件が起きた。





この日、メキシコシティのトラテロルコ地区にあるラス・トレス・クルトゥラレス広場に、およそ1万人の学生と市民が集まっていた。ちなみにこの広場の名前は「三つの文化」という意味で、古代アステカ文明、スペイン統治時代、そして独立後の近代化という、歴史に残る文化的変遷を象徴したものである。









▲写真 惨劇のあったラス・トレス・クルトゥラレス広場(三文化広場) 出典:Frédéric Soltan/Corbis via Getty Images





この日の集会は、必ずしも五輪開催に反対するためのものではなかったが、参加者の多数を占めた反体制派の学生・高校生グループは、





「我々は五輪を望まない。望むものは革命だ」





という歌を歌って気勢を上げていたとされる。





午後になって、戦車や軍用トラックが広場を包囲し始めたが、集会参加者はその場を動こうとはしなかった。午後6時頃、広場の近くにあるメキシコ外務省付近と、上空を旋回していたヘリコプターから、相次いで信号弾が発射され、続いて一斉射撃が行われた。





当時、メキシコの政府と新聞が発表したところでは、





「群衆が治安部隊に投石・暴行を加えたことから、偶発的な発砲が起き、44人を射殺、1,500人以上が検挙された」





となっていたが、実際の死者は400ないし500人に達していた。









▲写真 警察に拘束された護送車内の学生ら(1968年10月3日 メキシコシティ・トラテロルコ地区) 出典:Bettmann/Getty Images





事件の全貌は長きにわたって謎とされてきたが、2000年代になってから、米国政府の後押し(圧力?)もあって機密文書の公開など、情報開示が進んだのである。





この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください