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フランスと中国の「革命」 それでも五輪は開催された その3

Japan In-depth / 2021年6月30日 12時54分

マスメディアやその歴史を研究している人たちが、真摯に向き合うべき問題は、中国共産党内部の主導権争い、いや、有り体に言えば「内ゲバ」に過ぎなかった文化大革命の騒乱を





「革命を成し遂げた国で、新たな革命運動の火の手が上がった」





といったような、ある種ロマンティックな報じ方がなされたことではないか。それが主たる原因とまでは言えないにせよ、この文化大革命によって、西側先進国の左翼陣営の中に、毛沢東主義を標榜する勢力が台頭してくるのである。





再びパリ五月革命に話を戻すと、この動乱がド・ゴール退陣への道筋をつけた、という歴史観は正しくない。





「共産主義か、ド・ゴールか」





という保守派のキャンペーンが功を奏して、ド・ゴールは選挙を制し、権力の座にとどまったし、動乱そのものも2カ月を経ずして鎮静化した。このため今では、革命という表現もふさわしくないとして、単にMai68と表記するようになってきている。英語のMayと同じで、これ以上の説明は不要だろう。





ただ、若者の意識を変えていったという意味で、この動乱がもたらした影響は否定しがたく大きい。たとえば、それまで子供扱いされていた高校生が、この動乱を通じて、政治参加するのが当然という意識をはぐくんでゆくのである。





このように、1968年は「メキシコシティ五輪が開催された年」として語ることはとてもできないのだが、日本のメディアにおいては、政治的側面以外のところで注目されたいうことも、また事実であった。





パリ五月革命においては、女子高生も大勢デモに参加したが、パンツルックにベレー帽という、リセ(フランスの高校の通称)の女子生徒にとって定番の私服で、反ド・ゴールのポスターを掲げて行進する彼女たちの姿が、なんとファッション誌のグラビアを飾った。





英語圏のメディアでは「現代のジャンヌ・ダルクたち」という風に書かれていたようだが、わが国では「リセ・ファッション」なる造語が生まれ、米国東部の大学生のファッションを源流とする「アイビー」と双璧をなすまでになった。





アイビーの典型が、ブレザーにチェックのスカートというスタイルで、1970年代以降、全国的にこのスタイルが、セーラー服にとって代わって女子高生の象徴のごとくなって行くのである。





ちなみに男子学生も、10年ほどさかのぼった、世にいう60年安保闘争の当時は、詰襟の学生服でデモに参加する者が大半であったが、前述の「神田カルチェラタン」に参加した学生は、大半がジーンズを着用していた。学生服は、どちらかと言えば体育会系の右翼学生のファッションだと見なされるようになっていた。





進んで政治参加するのがフランスの女子高生なら、なんでもファッションの側面に注目するのが日本の……などとは言いたくないが。





(その3に続く。その1、その2)





トップ写真:1968年5月28日、パリで開かれたUNEF(フランス全国学生連合)の集会。同志の肩に乗って赤旗を振る若い女性も。 出典:KEYSTONE-FRANCE/Gamma-Rapho via Getty Images




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