映画から見えた「この国のかたち」忘れ得ぬ一節、一場面 その2
Japan In-depth / 2021年7月22日 23時0分
また、旧制中学や師範学校を卒業した者は、これもタテマエ上は「志願兵」として一年だけ軍務に服し、その後、試験を受けて合格すれば少尉に任官された。合格できなければ曹長どまりだが、まず落ちることはなかったらしい。
彼が指揮する小隊も、戦時編成ということで応召兵の比率が高い。豆腐屋の丁稚奉公をしていた貧しい若者や、入れ墨をしたテキヤ、幇間をしていたという者、妻に先立たれ、子供を残して応召してきた者……職業軍人たちからは、
「青びょうたんとダラ(愚か者)ばかり集めやがって」
などと見下されるが、なんと彼らが一番乗りを果たすのである。もちろん、全員無事に凱旋することなど望むべくもなく、一人、また一人と命を落とす。ロシア人を敬愛している、と言ってはばからなかった古賀少尉が、部下たちの悲惨な死にざまを見て、
「ロシア人はすべて自分の敵であります」
などと口走るシーンもまた、鬼気迫るものがあった。
▲写真 日本海海戦(1905年5月27日~28日) 出典:Hulton Archive/Getty Images
どうしてそこまで兵の犠牲が大きかったかと言えば、ロシアのバルチック艦隊が極東目指してすでに出港しており、これが旅順軍港にいる東洋艦隊と合流する前に要塞を攻め落として、湾内の艦隊を砲撃で始末してしまおう、という作戦だったから。
ここまでは合理的な作戦だとも評価し得るが、問題は具体的な戦闘指揮で、コンクリート製の防塁の内側に機関銃を並べて待ち受けるロシア軍に対し、繰り返し無謀な銃剣突撃を仕掛けては、死体の山を築いたのである。
司馬遼太郎も『坂の上の雲』の中で、この旅順攻防戦を描いているが、乃木希典(第三軍司令官・大将。映画では仲代達矢が好演した)ら司令部の無能・無責任ぶりを、弾劾するような筆致で描き、最後に「兵も死ぬであろう」と結んだ一節がある。
しかしながら、日露戦争は実質的な勝利(児玉が望んだ、戦勝に等しい講和)で終わったため、作戦や補給などにかかわる反省点は、うやむやになってしまったのである。
これが結局、昭和の軍人たちに「日本兵は世界一強い」という、いわば根拠のない自信を植えつけることとなり、どの段階で講和に持ち込むか、といった戦略を欠いたまま、対米開戦に至ったのである。
この映画を見て、旅順要塞に日章旗が翻るシーンにただただ感動した、で終わるようでは、昭和の軍人たちと同様の歴史観しか持つことができないのではないだろうか。
(その1)
トップ画像:日露戦争戦勝祝賀会(1905年、旅順)。乃木希典(中央)と将校たち。 出典:Photo by Burton Holmes/Archive Farms/Getty Images
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