シャレにならないユダヤ人問題 忘れ得ぬ一節、一場面 その4
Japan In-depth / 2021年7月26日 11時2分
私個人としては「ラーメンズ」のお笑いが大好きだったので、小林氏の件は、正直言って残念でならないが、そんな発想が国際的に通用するか否かは、考えるまでもない。
今さら詮無いことではあるが、彼らが杉浦千畝のことを知っていればな、とも思えた。
様々な書籍や映画、ドラマのおかげで、昨今はそこそこ知られるようになってきたが、第二次大戦中、リトアニアの領事(小国なので大使館は置かれず、領事官のみであった)を務めていた。
1939年、ナチス・ドイツがポーランドを占領すると、迫害を逃れるべく、多数のユダヤ人がリトアニアに逃れてきたのだが、彼らの窮状を見かねた杉原は、本省の意向を無視して、つまりは所持金などの条件を満たしていない者にまで、正規の手数料すら取ることなく、第三国への脱出に必要なビザを発給し続けたのである。
2015年に『杉原千畝 スギハラチウネ』という映画が公開された。私の記憶では、ロードショーのタイトルは『SEMPO』だったと思うのだが、確証となる記録を見つけることは残念ながらできなかった。千畝は「チウネ」と読むのだが、外国人には発音しにくいため「センポ」と名乗ることも多かったようだ。
監督のチェリン・グラック氏は米国人だが、日系人を母として和歌山県で生まれており、母国語は日本語であるという。松田優作の遺作となった『ブラック レイン』(1989年)で助監督をつとめるなど、数多くの日米合作映画に関わってきた。
個人的に印象深かったのは、杉原夫人を演じた小雪で、奇麗だし英語は上手だったし、さすがなものだ。主役(唐沢寿明)を食ってしまうほどの演技と存在感であった。
現地雇用のドイツ系リトアニア人を演じた、ボリス・スジックというポーランド人の俳優もよかった。ロケがポーランドで行われたと映画の公式サイトにはあるが、こういうのも現地採用というのだろうか?
そんな話はさておいて、彼はナチス礼賛者というわけではなかったのだが、日を追って多忙になることへの不満もあって、「ユダヤ人など放っておけばよいではないですか」などと口にしたこともある。しかし、一人の年老いたユダヤ人にビザを発給した際、「あなたは<よき人>だ」と礼を言われる。ユダヤ教・キリスト教の世界観では、単なる善人の意味以上に、天国に行く資格がある、といったほどの意味になるようだ。
その時は、黙って相手の顔を見返しただけだったが、明らかに彼の中でなにかが変わったのだろう。積極的に杉原を手伝うようになり、ついにはビザの文言が書かれたゴム印を手作りして、これを自分が捺すから署名だけすればよい、と申し出る。短期間で6000人分のビザを発給することができたのは、こうしたアイデアのおかげであった。文献によれば、本当はユダヤ人と共に亡命してきた元ポーランド軍人が考えついたことだったらしいが。
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