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戦争映画と軍歌について 「戦争追体験」を語り継ぐ その4

Japan In-depth / 2021年8月24日 13時6分

 


 最後は日本が降伏したことを知って武装解除に応じるが、その際、


「万朶の桜か襟の色」


 という唄い出しの軍歌「歩兵の本領」を唄いながら、山を下りてくる。私が気に入らないのは、歌詞中の、


「奉天戦の活動は 日本歩兵の華と知れ」


 という部分である。


 


 奉天戦とは日露戦争において、地上戦の帰趨を決した奉天会戦(1905年2月20日〜3月10日)のことだが、ロシア軍36万に対し日本軍24万と、3分の2に過ぎない兵力であった。しかし日本軍は果敢な銃剣・抜刀突撃でロシア軍を押しまくり、最終的に奉天(現在の地名は瀋陽)を占領するという戦略目的は達成した。


 


 それだけに犠牲も大きく、戦死者はロシア軍8705人に対し日本軍1万5892人と、倍近くも多い。ただしロシア軍は。2万2000人が日本軍に投降し捕虜となっている。



図)1904年10月 満州事変のロシアの塹壕を攻撃する日本軍


出典)Photo by Art Media/Print Collector/Getty Images


 


 一見すると、たしかに日本歩兵の強さを世界に示したと思えるが、事実はやや異なり、ロシア極東軍司令官アレクセイ・クロパトキン大将は、小柄な日本兵が白兵戦で思いがけないほどの強さを示したのを見るや「戦略的撤退」に移ったまでの話だった。


 


 日本軍を北へ北へと釣り上げれば、やがて本国から数十万の援軍が到着し、一打逆転の反転攻勢が可能になる、と。


 


 一方の日本軍はと言えば、奉天に突入し占領した時点で砲弾が底をつき、ロシア軍が列車で悠々と退却するのを、歯ぎしりしながら見送るしかなかった。これを、日本歩兵の華だなどと唄っているから、アジア太平洋戦争においては、


「一兵の援、一弾の補給も乞わず」(これも、アッツ島玉砕をモチーフにした歌)


 という状況になってしまったのではないか。乞われてもない袖は振れなかっただろうが。


 


  軍歌や戦時歌謡に関しては、本当はまだまだ言いたいことがあるのだが、紙数の制約に加え、歌詞を引用しながら語ろうとすると、権利の問題などのハードルもなかなか高い。


 


 いずれどこかの出版社の協力を得て、まとまった形で発表させていただきたいと思う。乞うご期待。


 


 次回は戦時捕虜の問題を取り上げる。こちらも乞うご期待。


 


(続く。その1,その2,その3)


写真)映画「戦場にかける橋」主演のアレック・ギネス(左)


出典)Photo by Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images


 


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