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剣道部の恩師田中康俊先生へ

Japan In-depth / 2021年8月31日 11時0分

その後、灘中学・高校剣道部は低迷する。私が入部した頃は、一回戦負けを繰り返していた。田中先生が来られて一変したと言いたいところだが、そうはいかなかった。神戸市内では大会によっては優勝することもあったが、兵庫県内では城下町で剣道が盛んな姫路市や赤穂市の学校には歯が立たなかった。





それでも、私が大学進学後も剣道を続けることができたのは、田中先生の指導下で、一回戦負けから脱却し、剣道が面白くなったからだ。少しだけ自信もつけた。田中先生も、その後、40年にわたり、灘中学、高校の後進を指導してた。私に対しても同様だ。大学、医師となってからも、ご指導いただいた。





私は、人生の節目に田中先生の記憶がある。私は、高校2年の6月に父を亡くした。1型糖尿病で人工透析を受けており、最終的な死因は敗血症だった。初夏の暑い日で、陽射しが強かったことを覚えている。よほどのショックだったのだろう。それ以外の記憶は全くない。





葬儀に真っ先に駆けつけてくれたのが田中先生だった。最後まで最前列に座り、父の死に呆然とする母や私と弟を支えてくれた。





1987年3月、私が大学に合格し、上京する時には、一升瓶を持たせてくれた。東京大学剣道師範の小沼宏至先生に渡すためだ。





当時、小沼先生は警視庁の主席師範。田中先生とは交流が深かったそうだ。入部後に、田中先生から預かった日本酒を渡すと、「田中先生のお弟子さんか。若い頃からの付き合いだよ」と笑顔で受け取られた。小沼先生は、田中先生と同じ「匂い」がした。





田中先生と小沼先生は、家族ぐるみのお付き合いだった。鹿児島出身の田中先生と会津出身の小沼先生は気があったようだ。よくお二人から故郷の話、そして戦後の苦労話を伺った。





8月8日、田中先生が亡くなった。享年96才。突然の体調悪化だったらしい。田中先生がおられなければ、私の人生は、現在とは全く違った形になっていただろう。





私は学生たちに、自分が専攻する学問以外に一つは芸事をやるように勧めている。私にとっては剣道だ。芸事の良いところは何か。それは人生の師匠と会えることだ。芸を極めた人には深みがある。そして、優しい。





田中先生は、若輩である我々に寄り添い、長い時間をかけて指導してくれた。まさに「スタンド・バイ・ミー」だった。私は田中先生から教育を学んだ。少しでも、後進に恩返ししたいと考えている。今頃、天国で小沼先生と談笑しながら、私たちのことを見守っておられることだろう。心からご冥福を祈りたい。





トップ写真:灘校剣道部OBによる田中先生の米寿祝賀会にて。2013年10月13日、神戸にて 出典:筆者提供




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