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見えぬ各候補の対露方針 「2島返還」か「4島返還」回帰か

Japan In-depth / 2021年9月25日 19時0分

▲写真 東宝経済フォーラムで演説するプーチン大統領(ウラジオストク、2021年9月3日) 出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Images





同フォーラムにはこれまで、安倍前首相が在任中、毎年出席してにもかかわらず、ことし菅首相は招待すらされなかった。





これに先立ってロシアは、東京五輪開会中の7月下旬、メダルラッシュの熱気に水を差すように、ミシュスチン首相を北方4島のひとつ、択捉島へ派遣した。





7、8月にはそれぞれ、国後、択捉島での射撃訓練を通告するなど、ロシアが北方領土を自国領と既成事実化する動きは常態化している。





■成果生まなかった「2島返還」への譲歩





ことしは1956(昭和31)年に、戦争状態の終結などをうたった日ソ共同宣言に調印されてから65年の節目にあたる。





本来なら、両国間でこれを記念するイベントが開かれているところだが、祝賀ムードはまったくなかった。ロシアでも同様だろう。これひとえに、領土問題が膠着状態になっていることが原因といっても差し支えあるまい。





安倍政権時代の2010年代末、戦後の懸案である4島の返還問題を解決しようと、日本側は大幅な譲歩を行った。





2016(平成28年)12月、安倍首相の地元、山口県長門にプーチン氏を招いて行った首脳会談で、北方領土で両国が共同経済活動を進めることで合意した。





2018(平成30)年11月には、シンガポールで行われた首脳会談で、「56年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を継続する」ことが確認された。メディアを賑わした「シンガポール合意」だ。





56年宣言には、北方4島のうち、歯舞群島、色丹島について、「平和条約が締結された後に日本側に引き渡される」と明記されている。





その宣言を基礎とすることは、歯舞、色丹の2島返還を目指し、残りの国後、択捉2島は断念することを意味した。





安倍首相は国会で、「われわれの主張を繰り返していればいいということではない」「それで70年間、まったく状況は変わらなかった」と述べ、これまでの方針を転換する必要性について説明した。









▲写真 安倍晋三首相とプーチン大統領(2018年11月14日、シンガポール) 出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Images





こうした発言は、1993(平成5)年の東京宣言、2001(平成19)年のイルクーツク声明など過去に日本が勝ち取ってきた成果を、故意かどうかは別として、「無視した」、「努力に敬意を欠く」と批判されても、やむを得なかった。





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