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「年賀状は願いを込めた小文学作品」 続:身捨つるほどの祖国はありや12

Japan In-depth / 2021年12月14日 18時0分

「エポレット(肩章)輝きし友 こがね髪 ゆらぎし少女(おとめ) はや老いにけん」と鷗外が20年前のベルリン時代に回顧しているが、それは私のものでもあると書いたのは、平成22年、もう60歳を超えての感慨である。





翌々年、3.11のときには、オフィスにいた。





なんども漱石について書いている。鷗外についても同じ。





「ふと人生は繰り返しに過ぎず、終点はないのだと錯覚することがあります。もう直ぐ思い知らされるとわかってはいます。」と書いてから、「未だ、昔を偲ぶ心境には至っていません。夢のなか、若いまま、なのです。」と書いた平成30年。65歳。





その翌年の正月に歳を感じ、高校卒業以来という定期的な運動を始めた。





今の私は、その延長上にいる。週2回、運動をしている。





つい先週、早川吉春さんが亡くなった。尊敬する先輩であり、大変お世話になった方だった。UFJ銀行が三菱銀行と合併する際、ITのために数か月延期となり、そのおかげでUFJ銀行の業務監視委員だった私はUFJ銀行の新任社外監査役だった早川さんとお逢いすることになったのだ。





「あなたの目線には憐れみがあるね」と誉めてくださった、いろいろな会合に呼んでくださった。たくさんの素晴らしい方々との出逢いの機会を作ってくださった。





不思議な方で、「早川さんに頼まれると断れないんだ」と、何人もの実業界のトップの方々が言われた。価値創造フォーラムほか、いろいろな団体を主宰されていた。





もともとは公認会計士でいらしたのだが、それは早川さんのごく一部しか説明しない。





例えば或る上場会社の社外取締役を任期途中でお辞めになったときのこと、その理由について書簡の形で何人もの人々へ説明をされた。私も受け取った一人で、早川さんらしい、だから人の心を動かすのだろうと思った。





亡くなられる2週間ほどまえに電話でお話しした。忙しい方が電話に出てくださった。





恩返しできないうちにいらっしゃらなくなってしまわれた。ご冥福を祈らずにはいられない。





早川さんならどうするか、と考えるのが、私のこれからの習慣になることだろう。





(続く)





トップ写真:年賀状(イメージ) 出典:Photo by gyro / Getty Images




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