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時代劇の灯は消えるのか(中)年末年始の風物詩について その2

Japan In-depth / 2021年12月19日 0時56分

もともと都市部の商工業者は農村から出てくる若者の労働力を当てにしていたし、そうした働き手の中から後継者を選ぶ商人や職人はいくらでもいた。





話を戻して、徳川光圀が名君とされているのは、藩校を建てて学問を大いに奨励し、わけても『大日本史』の編纂など、文化的な功績が大きかったからである。他にも、幕府が規制していた大型船を建造して蝦夷地(北海道)に探検隊を送りこんだり、考古学という概念自体が存在しなかった時代に、古代の暮らしぶりに興味を持って古墳の発掘調査を命じたりした。





ただ問題は、そのための財源で、もともと御三家という格の割に、領地は28万石しかなく、財政は楽ではなかった。そこへ文化事業に巨額の金をつぎ込んだものだから、領民は重税に苦しめられ、逃亡や一家離散が相次いだという。名君の定義は様々ではあろうが、少なくともドラマのような「庶民ファースト」の君主ではなかった。





一方、吉良上野介はと言えば、『忠臣蔵』における腐敗した権力の象徴のような描かれ方とは裏腹に、領民の生活向上に心を砕く名君であった。





もちろん、ドラマである以上、史実を様々に解釈し脚色するのは当然のことだ。要は、史実とフィクションを混同しないよう、知識を仕込みながら時代劇を楽しむべきなのだ。





(その1。その3につづく)





トップ写真:徳川時代に日本を支配したすべての将軍を描いた3枚組の作品 出典:Photo by  Asian Art & Archeology, Inc./CORBIS/Corbis via Getty Images




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