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忘れ得ぬ昭和の正月風景 年末年始の風物詩について 最終回

Japan In-depth / 2021年12月31日 23時0分

羽子板というのは売っていたが、実際にあれで羽根をついて遊んでいる子供は見た記憶がない。





福笑いというのは、若い読者はピンとこないかも知れないが、要はのっぺらぼうの顔がプリントされた紙があって、目隠しをして目や鼻のパーツを並べて遊ぶのだ。それの何が面白いのか、と言われると困る。私自身、一体何が面白いのか分からなかった。と述べると、経験があることは認めることになるが、当時の小学生がよく購読していた『X年の科学』『同・学習』といった雑誌の付録になったことがあったのだ。





双六とは、バックギャモンと同じく二人で遊ぶ対戦型のボードゲームで、我が国には飛鳥時代に渡来したとされるが、賭博の逸出としてたびたび禁止令が出たらしい。後に子供の遊びとして普及したのは、サイコロを振って出た目の数だけ駒を進める「絵双六」の方だろう。





昭和の小学生には、これの現代版とでも言うべき「人生ゲーム」が人気を博していた。1960年に米国で発明され、我が国では68年以降、タカラトミーから発売されている。





たしか、とても小さな「ドル札」を賭けてあそぶようになっていたはずで、私が通った小学校では、まさか賭博と見なされたのではないと思うが、校内持ち込み禁止となったのを覚えている。推測だが、この手のゲームは高価だったので、生徒間に「持つ者と持たざる者」という関係性が生じ、学校側が敏感に反応したのかも知れない。









▲写真 お年玉をもらう子ども(イメージ) 出典:kohei_hara / Getty Images





子供にとって正月の楽しみと言えばお年玉だが、私の記憶では親戚一人につき、最初は500円から1000円。当時は500円札があり、ちゃんと折りたたんで袋に入っていた。学年が上がるにつれて増えていったと記憶しているが、さすがに1万円もらった記憶はない。





これも高度経済成長期の一側面なのか、まあ私の記憶だが、サラリーマン家庭の子よりも商店や町工場を経営している家の子の方が、羽振りが良かったと思う。





あれから半世紀。





すでに還暦を過ぎた私など、





「正月や 冥土へ旅の 一里塚」





という川柳が似合う。とりわけ先の見通しが立たない世相となった昨今、来年の今頃、自分はどこでなにをしているのだろう、などとつい考えがちだ。





せめて新型コロナ禍が収束し、安心して出歩ける日々が戻るよう祈ろうと思う。





読者の皆様も、よいお年をお迎えください。





(その1、その2、その3、その4。全5回)





トップ写真:正月の買い物風景(東京・浅草) 出典:Karin Slade / Getty Images




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