新しい年の日本の国難、そして皇室 その3 米軍将校が日本国憲法を書いた
Japan In-depth / 2022年1月15日 12時0分
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・日本国憲法草案は、日本人が1人もいない、GHQの民政局の米軍将校たち20数人が10日間で書き上げた。
・今上陛下や皇室制度の特徴もこのアメリカ製の憲法草案によって築かれた。
・草案作成時、アメリカ政府からは、天皇制の政治システムは保持しないが、天皇そのものは保持する、『天皇制の廃止』が求められた。
日本国憲法草案の実際の作成作業はGHQの民政局に下命された。民政局の局長はコートニー・ホイットニー米陸軍准将だった。そのすぐ下の次長がケーディス氏だったのである。同氏を責任者とする憲法起草班がすぐ組織された。法務経験者を中心とする20数人の米軍将校たちが主体だった。日本人は1人もいなかった。
▲画像 コートニー・ホイットニー米陸軍准将、1945年ごろ。 出典:Photo by Three Lions/Hulton Archive/Getty Images
憲法起草班は1946年2月3日からの10日間で一気に草案を書き上げた。作業の場所は皇居に近い第一生命ビルだった。
今上陛下や皇室制度の特徴もこのアメリカ製の憲法草案によって築かれたというのが歴史の冷厳な事実なのである。だからこそ現代の日本国民はみずからの頭と心で皇室のあり方をいま根幹から再び考えねばならない、ということでもあるのだ。
さてその憲法起草者のケーディス氏は1906年、ニューヨーク生まれ、コーネル大学卒業後にハーバード大学法科大学院を修了して、1931年には既にアメリカの弁護士となっていた。連邦政府の法律専門官として働く間に第二次大戦が起きて、陸軍に入った。陸軍参謀本部に勤務後、フランス戦線に従軍した。
そしてケーディス氏は1945年8月の日本の降伏後すぐに東京に赴任して、GHQ勤務となったわけだ。だから日本国憲法起草当時既に39歳、法務一般でも十分に経験を積んだ法律家ではあった。
私が彼にインタビューしたのは1981年4月だった。彼は75歳となっていたが、なおニューヨークの大手法律事務所に弁護士として勤務していた。礼儀正しい紳士だった。「日本国憲法の起草についてはもうアメリカ政府への守秘義務などありませんから、何でも質問してください」と、資料まで準備して懇切に語ってくれた。インタビューは4時間にも及んだ。
当時の私はアメリカの研究機関「カーネギー国際平和財団」の上級研究員として日米安全保障関係についての調査や研究に当たっていた。ケーディス氏のインタビューもその一環だった。
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