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新しい年の日本の国難、そして皇室 その3 米軍将校が日本国憲法を書いた

Japan In-depth / 2022年1月15日 12時0分

ケーディス氏が起草の実務責任者となった日本国憲法についてはアメリカ政府側の意向の根幹は明確だった。ケーディス氏はその根幹を守ったわけだが、同氏らの起草実務者たちに与えられた裁量の幅は驚くほど大きかったのである。





アメリカ当局の当時の天皇の処遇に関する方針としてはまず第一にジェームズ・バーンズ国務長官からGHQの政治顧問ジョージ・アチソン氏宛に送られた書簡があった。その書簡には「天皇制は廃止されるように奨励されるか、あるいは民主的なラインに変革されるべきだ」という趣旨の記述があった。









▲画像 ジェームズ・バーンズ国務長官(1946年1月1日) 出典:Photo by Getty Images





第二には米軍統合参謀本部からGHQへの一連の指令のなかに天皇への言及がいろいろあった。





第三はマッカーサー・ノートだった。GHQの最高司令官としてのマッカーサー元帥がケーディス氏らに憲法草案づくりに当たって、これらの点だけは盛り込むようにと指示したごく簡単なノートだった。勿論、本国政府の方針の反映ではあったが、元帥自身の判断も入っていたと言える。





こうした背景を下にケーディス氏は私の質問に答え、率直としか思えない表現と語調で当時の実情を語ってくれた。





「バーンズ書簡でも天皇についての方針は一般的な内容が多く、具体的になにを意味するのかは私たちが推測しなければならなかったのです。たとえば天皇は政治的権限を行使できないのならば、一体、どんな存在となるのか」





「バーンズ書簡で『天皇制の廃止』と表現したのはあくまで天皇制のシステムであり、天皇という地位、存在をなくしてしまうということでは決してなかったのです。天皇制の政治システムは保持しないが、天皇そのものは保持する、ということでした。当時のわれわれが『帝国主義的な制度』と呼んでいた天皇制を廃止して、『民主主義的な制度』を残すという意図でした」





(その4につづく。その1、その2。全5回)





**この記事は日本戦略研究フォーラム2022年1月号に載った古森義久氏の論文「新しい年の日本の国難、そして皇室」の転載です。





トップ画像:マッカーサー将軍の本部として使用された、横浜のニューグランドホテルの前に立つ、武装した警備員たち(1945年9月13日) 出典:Photo by Keystone/Getty Images




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