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「さらなる改正」では解決にならない 民法改正「18歳成人」に思う 最終回

Japan In-depth / 2022年2月1日 11時0分

理由はここ数年、児童虐待事件が頻発しているが、そうした親が決まって





「しつけのためだった」





と主張するからで、言い換えれば懲戒権が免罪符のようになっているのではないか、との指摘がなされていた。





もちろん反対論や慎重論もある。煎じ詰めて言うと、世の親たちが萎縮してしまって、しつけもできなくなるのではないか、ということらしい。









▲写真 法制審議会第193回会議(2022年1月17日)。写真は法務大臣挨拶を代読する津島法務副大臣。 出典:法務省ホームページ





この懲戒権という言葉の初出は、1890(明治23)年に公布された旧民法822条で、以下のような条文であった。





「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる」(新字・現代仮名遣いで表記。以下同じ)





今読むと、かなり乱暴な規定だが、敗戦後、日本国憲法が公布されるなど、我が国の法体系が大幅に改められた際も、なぜかこの条文は新民法に引き継がれた。ただ、懲戒場もしくはそれに相当する施設など存在せず、いわば形骸化していたのである。





そして、2011年に民法が一部改正され、以下のような条文となった。





「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」(第820条)





「親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲でその子を懲戒することができる」(第822条)





問題は、この時の一部改正も、児童相談所が扱う「虐待が疑われるケース」が急増したことからなされた、ということだ。





さらに言えば、一読してお分かりのように「懲戒することができる」とあるだけで、具体的な懲戒の範疇・手段については、なにも書かれていない。「必要な範囲」も同様で、これではたしかに「しつけのためなら、なんでもあり」と解釈する親がいるかも知れない。





だが、逆もまた真なり、と言う。





民法から懲戒権の文言を削除し、体罰禁止を明文化したら、それで虐待が減るなどと、法制審議会のお歴々は本気で考えておられるのだろうか。また、2011年に「子の利益のため」という文言を加えて、なんらかの好影響が見られたのか。





子供が泣きやまないこととか食事を残すとか、そんな理由で命に関わるほどの暴行を加える親が、自分の行為が法に照らしてどうかなど、判断できるとも思えないし、そのような手合いが、





「しつけのつもりだった」





などと言い張るのは、弁護士に入れ知恵されたのでなければ、単なるバカのひとつ覚えだろう。大体、民法で体罰を禁じても、それ自体に罰則規定が伴わなければ、どうすることもできないではないか。





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