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外来語と和製語について(下) 日本の言論状況を考える 最終回

Japan In-depth / 2022年2月28日 23時0分

たとえば、かの国の国名は「中華人民共和国」だが、「人民」も「共和国」も、日本において欧米の言葉から訳されたものではないか、と。





ひとつ誤解があるようなので指摘しておくと、共和国はたしかにその通りだが、人民という漢語はかなり古い。春秋戦国時代(紀元前3世紀前後)に書かれた『孟子』の中に





「諸侯に三宝あり。土地、人民、政事(まつりごと)。宝珠玉(金銀財宝)を宝とする者、その身に必ずや殃(わざわい)およぶ」





などとある。ただ、ある国の国籍を持つ人を「国民」と呼ぶのに対して、国籍と関係ない概念としてあるのが「人民」だという考え方は、たしかに明治期の日本で成立した。





前回、ルー大柴というお笑い芸人が「トゥギャザーしようぜ」などという言葉を流行らせたことに触れたのも、実は話がここにつながってくるのだ。





明治初期、西欧の文物が大量に流れ込んできたにもかかわらず、日本語(?)に置き換える作業が追いついていなかった当時、学生らが大真面目にこのようなカタカナ語を用いて会話していたのである。





その後「福沢諭吉と愉快な仲間たち」が、頑張って大量の訳語を発明したが、まさかこれが「和製漢語」と呼ばれて中国で受容されるとは、予想だにしなかっただろう。





韓国でもそのうち、不倶戴天の敵といった意味合いで「ネトウヨ」が流行するかも知れない……というのは今思いついた冗談だが、便利な表現は必ず広まって行くものである。









▲写真 eスポーツ施設「CGA」内のゲーマーたち 出典:PAKUTASO





ならばどうして、一部ネット民が用いる言葉をやり玉に挙げるのか、と言われるかも知れないが、これまた理由は簡単で、たとえば





「身長170センチ未満は人権ない」





というのが典型だが、彼らは日本語を乱しているのではなく、市民社会の秩序を乱しているからだ。





最近の日本語は、乱れているのではなくネット社会の到来によって大いなる変革期を迎えているのである、と私は考えるものだが、時世時節がどうであろうと、社会の一員として、言ってよいことと悪いことがある。





すべての人が、この原点に立ち返って欲しいものだ。





(その1、その2、その3、その4、その5。全6回)





トップ写真:JR東日本山手線の駅における通勤風景(東京都内、2021年1月) 出典:Photo by Carl Court/Getty Images




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