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星槎グループ創業者・宮澤保夫さん死去 東日本大震災、被災地支援に尽力

Japan In-depth / 2022年3月25日 20時11分

ただ、星槎グループの「本業」はスポーツではない。学習障害や発達障害を抱える生徒を対象とした一貫教育だ。星槎とは「星のいかだ」という意味で、星槎大学の教育理念には「多様な文化、多彩な人生が交錯して形作る星座は科学と学びのロマンを伴い世界の道しるべである。地域社会や国際社会の多くの人々に役立つ人となるために、生活の中で生涯学びつつ、大きな槎(いかだ)たらん」と書かれている。一人ひとりの個性を重視した教育を目指している。





このように書くと、宮澤会長は「やりてのビジネスマン」のようなイメージを与えてしまうが、実態は違う。極めてパワフルで、カリスマ性を備えた人物だ。面倒見がいいため、彼の周囲には多くの人々が集まる。





星槎グループが、スポーツの分野で急成長したのも、宮澤会長の人柄によるものだ。かつてサッカー部を支援したのは奥寺康彦氏だし、桐蔭学園野球部監督を務め、元巨人軍監督の高橋由伸氏などを育てた土屋恵三郎氏が、現在、星槎国際湘南高校で監督を務めていることなど、その典型だ。何を隠そう、私も宮澤会長の人柄に惹かれ、お付き合いをさせて頂いている。





星槎グループの特徴は、宮澤会長の周囲に集う先生方が優しいことだ。そして、行動力もある。東日本大震災では、その行動力が遺憾なく発揮された。震災直後の2011年3月17日から、福島県郡山市と仙台市にある学習センターに救援物質を運ぶべく、星槎グループの生徒や職員が被災地に入った。幸い、何れの学習センターも被害は軽かったが、そこで「南相馬市が酷いことになっている」と聞きつけたスタッフは、そのまま南相馬市へと向かった。防災無線を駆使して、現地の情報を収集した。





宮澤会長は無線マニアだ。「災害時には防災無線以外はあまり役立たないんだよ」という。星槎グループは、我々では知り得ない様々な情報を入手していた。南相馬市に入った、星槎グループの先生たちの行動力・生活力は凄まじかった。三橋國嶺氏、大川融氏、山越康彦氏を中心とする先遣チームは市内に入ると即座に、「扇屋」というホテルに宿泊し(写真1)、翌日は南相馬市役所の隣に部屋を借りて、活動拠点を確保した。





丁度、このころ、当時、東京大学医科学研究所で私が指導する大学院生だった坪倉正治医師(現福島県立医科大学教授)が浜通りに入り、星槎グループと合流している。先遣隊に続き、宮澤会長自らが、浜通りに入っていると聞いていたので、坪倉医師が東京を出発する際、「現地に入ったら、宮澤会長に携帯電話で連絡するように」と伝えた。





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