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無条件降伏と全生庵「高岡発ニッポン再興」その16

Japan In-depth / 2022年7月6日 18時0分

無条件降伏と全生庵「高岡発ニッポン再興」その16


出町譲(高岡市議会議員・作家)





【まとめ】


・「江戸城無血開城」の立役者、山岡鉄舟が創設者の全生庵は、もう一つの大きな政治決断、日本の「無条件降伏」にも関与。


・血盟団事件に関わった四元義隆は、高僧・山本玄峰の講和を受け、座禅を組み事件を反省。「終戦決断」につなげた。


・全生庵をめぐる日本を救った2つの政治決断。政治家の端くれとして、私もさまざまな政治決断を下さなければならない。


 


前回お伝えした、山岡鉄舟は1883年に全生庵を建立しました。明治維新で殉死した人たちを弔うためです。


江戸城無血開城の立役者だったわけですが、日本の近現代のもう一つ、大きな政治決断、無条件降伏にも、全生庵が関与しています。


山本玄峰と呼ばれる高僧が水面下で動いたのです。


全生庵住職の平井正修さんは「中曽根先生が座禅なさったのは、四元義隆さんの紹介です。四元さんは、山本玄峰老師の弟子だった」と話します。玄峰は静岡の龍沢寺住職でしたが、上京してこの全生庵で法話していたのです。



写真:全生庵の平井正修住職(左)と筆者。筆者提供。


四元は右翼の大物です。近衛文麿や鈴木貫太郎ら首相の秘書を務め、戦後は「政界の黒幕」と呼ばれ、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作らの懐刀となりました。その影響力は長く続き、中曽根、そして細川護煕をも指南しました。


若き日にはテロリストでした。1932年に蔵相の井上準之助と三井財閥総帥の團琢磨を暗殺した血盟団事件に関わり、収監されました。その裁判で弁護をしたのが、既に高僧として知られていた山本玄峰でした。


血盟団事件の被告たちは私心なく日本を救いたい一心だった、と法廷で主張して減刑を求めたのです。四元に下された判決は、無期懲役の求刑に対し懲役15年でした。


その後、山本玄峰は頻繁に小菅刑務所を訪ね、講話していたのです。そこに収監されていた四元には、この講話が大きな戒めとなり、血盟団事件を反省し、寝る間を惜しんで座禅を組んだのです。四元にとって玄峰は、親以上の存在となったのです。


山本玄峰は太平洋戦争について「このような無理な戦争をしてはいけない」と、開戦当初から反対していました。龍沢寺には、鈴木貫太郎、吉田茂、池田勇人といった有力政治家だけでなく、戦後に学習院院長になった自由主義者の安倍能成、岩波書店創業者の岩波茂雄らも出入りし、あたかも反・東條英機の砦のようでした。



写真:雪蹊寺にある山本玄峰禅師の胸像


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