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江戸城無血開城と全生庵 「高岡発ニッポン再興」その15

Japan In-depth / 2022年7月5日 23時0分

3月9日に駿府に到着した山岡は、西郷に切り出しました。


「このまま進撃されるのか、お考えをお聞きしたい」


西郷は答えた。


「もとより国家を騒乱させることを狙っているのではない。不謹慎な輩を鎮定するために攻撃するのだ」


これに対し山岡は


「徳川慶喜は恭順の意を示し、上野寛永寺で朝廷の御沙汰をお待ち申しています。生死いずれなりとも朝廷のご命令に従う所存でございます」


「慶喜の気持ちを受けられないならば、仕方ありません。私は死ぬだけです。そうなると、いかに徳川家が衰えたといえ、旗本8万騎で決死の志士は私だけではありません。それでも進撃なさるおつもりですか」


「江戸を火の海になさらぬようお願いします。民を助けてください」


と訴えました。


西郷はいったん離席し、参謀会議で相談した上、いくつか条件を提示し


「これを受けていただけるなら、総攻撃を中止する」


と明言しました。


山岡の下工作を受けた西郷隆盛と勝海舟の会談は、3月13、14の両日に行われました。ここに、15日に計画していた江戸城総攻撃は回避されたのです。


会談終了後、勝は夕暮れ時に西郷を、江戸城の南1キロメートルほどに位置する小高い愛宕山に誘い出しました。


西郷は


「さすが徳川公は、大変な家来を持っていますね」


とつぶやきました。


勝が「誰のことですか」と尋ねると、


西郷は


「山岡さんですよ。生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人ですが、そのように始末の負えぬ人でなければ、天下の大事は語れないものです」


と答えたといいます。



写真)山岡鉄舟の墓で手を合わせる筆者。筆者提供。


日本はぎりぎりの段階で、内戦を回避したのです。新政府軍に英国、幕府軍にはフランスが付いており、内戦に突き進めば領土は分割され、植民地化されていた可能性があるのです。


「生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ」。


こんな人でなければ、大きなことができない。西郷はこう主張し、山岡を評価しているのです。


私は山岡鉄舟に少しでも近づきたいと思っています。


トップ写真:全生庵で座禅を組む筆者。筆者提供。


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