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「中東=灼熱の砂漠」ではない異文化への偏見を廃す その2

Japan In-depth / 2022年7月20日 23時0分

「彼らは何者で、どこから来て、どこに消えたのか」


 肝心なことが皆目分からないのだ。邪馬台国が日本史上のミステリーだとすれば、これは世界史的ミステリーだと言ってよい。


 その後、サウジアラビアのメッカにおいて、610年にイスラムが成立する。ムハンマドの教えによれば、神はアラビア語をもって人類に教えを下したのであり、それゆえ啓典とされるクルアーン(=コーラン。クアラーンと表記されることも多い)の翻訳は原則禁止されている。


 その頃すでに「キリスト教を信仰する者の運命共同体」としてのヨーロッパが成立しており、以降ヨーロッパの中世史とはイスラムとの戦いの歴史であったと言える。ただ、北方においてはロシア、南方においてはトルコとの境界までがヨーロッパだという定義が浸透するのは、19世紀になってからの話だ。


 よく、ヨーロッパの人々はイスラムの布教活動を


「右手にコーラン、左手に剣」


 と称して怖れた、と考える人がいるようだが、これは少し、いや、かなり違う。


 たしかに初期のイスラム教団には優秀な将軍が多く、ムハンマド自身も優れた軍事的才能の持ち主であった。このため、どこかの諸侯が宗教弾圧を試みた際には、片っ端から返り討ちにした。ここまでは事実である。



イラスト)オスマン帝国による1529年ウィーン包囲


出典)DigitalVision Vectors


 その結果、キリスト教がローマにおいて国教の地位を得るまでには400年ほどを要し、数え切れないほどの殉教者を出してきたのに対し、イスラムはほぼ同じ年月の間に、中東・北アフリカ一帯からヨーロッパまで版図を広げた。この歴史を知って感嘆したキリスト教徒が、前述のように形容したので、信仰を受け容れなければ殺すぞ、などという意味はまったく含まれていない。


 実際、キリスト教化されたローマは、ギリシャを支配会に入れた後、古代の多神教を否定し、オリンピックまで一時は廃止した。


 これに対してイスラムの支配は、税金さえ納めれば信仰の自由も認めるという、誠に穏健なものであった。


 こちらもまた、昨今のイスラム原理主義者たちの暴虐ぶりから、誤ったイメージが広まっているのは遺憾なことで、


「武力に裏打ちされた強権支配より、穏健な文化的支配の法がうまく行く」


 ということを、現代人は学ぶべきではないだろうか。


 次回は、イスラム金融について述べる。


<解説協力>:若林啓史(わかばやし・ひろふみ)


1963年北九州市生まれ。1986年東京大学法学部卒業、外務省入省。


アラビア語を研修しイラク、ヨルダン、イラン、シリア、オマーンなどの日本大使館で勤務。


2016年より東北大学教授。2020年、京都大学より博士号(地域研究)。『中東近現代史』(知泉書館)など著書多数。


『岩波イスラーム辞典』の共同執筆者でもある。


朝日カルチャーセンター新宿校にて


「外交官経験者が語る中東の暮らしと文化」


「1年でじっくり学ぶ中東近現代史」


を開講中。いずれも途中参加・リモート参加が可能。


(続く、異文化への偏見を廃す その1)


トップ写真:ルブアルハリ砂漠で行われるラクダの訓練 サウジアラビア ナジュラーン州 2021年12月31日


出典:Photo by Eric Lafforgue/Art in All of Us/Corbis via Getty Images


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