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「丸井」創業経営に見る変化の重要性 「高岡発ニッポン再興」その17

Japan In-depth / 2022年7月26日 23時0分

こうした中、忠治は、家族経営を貫きました。社員は子どもという考えです。高岡などから採用した若者を、自宅に住みこませたのです。時には長時間労働を強いることもありましたが、それも家族経営故です。





しかし、時代はそれを許しませんでした。戦後の労働運動が高まりを見せていたのです。「経営者は悪」という風潮もあり、丸井に労組もできました。





激怒したのは、忠治です。労組の解散を強く求め、労組に入った社員の解雇を通知するほどでした。冒頭にお伝えした、バブル期をけん引した青井忠雄は、昭和30年に丸井に入社しました。早稲田大学で、経営についても学んでおり、こうした忠治のやり方に批判的だった。労働組合法などを踏まえ、経営体質は古すぎると指摘したのです。





そして忠雄は、社長就任後は、若者層にターゲットを絞り、ファッションと言えば、丸井となったのです。





ところが、この忠雄の経営も時代についていなくなりました。





息子の浩が2005年に社長に就任した。その後、上場以来の初の赤字となり、経営危機に陥った。リーマンショックなども逆風になりました。破綻したり、買収されたりするリスクもあったといいます。モノが売れない、デフレ。厳しい経営環境になったのです。





ここで浩は経営を大きく転換しました。若者をターゲットにしていた手法を180度転換し、年齢、性別、身体的特徴などを問わないすべての人を対象にしたのです。





さらに、商品を仕入れて販売する百貨店方式と決別。出店者に場所を貸すショッピングセンターモデルに転換したのです。





今や業界ナンバーワンの強さとなっている。株式時価総額では、三越伊勢丹、Jフロントリテイリング、高島屋などをはるかに凌いでいます。





創業者の青井忠治は独立したころ「いつかは三越のような存在になりたい」と語っていましたが、3代目の孫、浩は三越を追い抜いたのです。





時代に合わせ経営手法を大きく変化させたのです。かのダーウィンも言っているように「変化するものこそが生き残る」。青井家3代は変化の重要性を教えてくれます。





写真:中野マルイ外観





ⓒ中野マルイ





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