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アラブは部族社会ではない  異文化への偏見を廃す その5    

Japan In-depth / 2022年7月28日 12時13分

 ただ、イラクにとってはペルシャ湾への出口にクウェートが立ち塞がる形になったわけで、サダム・フセイン大統領以前にも、併合を試みる動きはあった。


 その後「人道支援」の名目でサマーワに派遣された自衛隊や、派遣を積極的に後押しした外務省(防衛省は憲法との兼ね合いなどで消極的だったと伝えられる)も、部族長さえ懐柔すれば地域の安定は保たれる、と考えていたようだ。現実はそう甘くはなかった上に、都合の悪い記録は葬られてしまう、という事態が起きたわけだが。それのどこが間違いなのか。


 もともとアラブ人の生活圏は「都市と荒れ地」から成っており、いわゆるアラビア文明を育んだのは、疑いもなく都市なのである。


 かつてサダム・フセイン自身が西欧の近代文明を揶揄して、


「ロンドンがテムズ河畔の寒村に過ぎなかった頃、バクダードの目抜き通りにはガス灯がともされていた」


などと語ったことがあるが、他にもヨルダン、レバノン、シリアのダマスカスなど、紀元前から栄えた都市がいくつもある。エジプトのカイロなど、新しい方なのだ。


 都市の周囲には農村地帯があり、農民は食料の供給源で、公益の顧客でもあるという位置づけだった。


 ここでは、部族社会どころか古くから個人主義的な考え方が根付き、今に至っている。たとえば、姉妹が並んで街を歩いていても、一人は敬虔なムスリムでヒジャーブと呼ばれるスカーフで髪を覆い、真夏でも長袖を着ているのに、もう一人は髪を覆わないどころか「ヘソ出しルック(古いかな笑?)」で闊歩しているという光景が、本当に見られる。


 


 もともとイスラムの信仰の基礎にあるのは、信者個人と神との関係性で、一族郎党こぞって信心深くなければならない、という発想には立っていない。


 都市の周辺には農地が広がり、都市の人々にとって農民とは、食料の供給源であり公益の顧客でもある、という位置づけであった。そのさらに外側と言うか、農耕に適さない荒れ地で暮らすのが、ベドウィンと呼ばれる遊牧民である。


 荒れ地と砂漠は必ずしも同義語ではないが、実際問題として草地と水がある場所は限られており、彼らベドウィンはラクダに乗って、羊の群れを引き連れながら気が遠くなるような距離を移動する。


 このように都市や農村とは別世界の、厳しい自然環境の中で生き抜くためには、集団の結束を保たなければならず、いきおい部族長に権力が集中した。


 ちなみに、昨今の英語メディアでは、部族(トライバル)という言葉は未開人というに近いニュアンスがあるため、氏族(クラン)と言い換えるようになってきている。


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