国葬は閑散、国民葬は長蛇の列(上)国葬の現在・過去・未来 その3
Japan In-depth / 2022年9月22日 7時0分
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・1922年2月1日、明治の元勲・山県有朋が世を去った。日比谷公園での国葬は、参列者はわずか1000人ほど、それも大半が軍人だった。
・国葬は明治期には国葬令により天皇が崩御した場合は大喪、皇族や「偉勲(格別な功績)ある者」は勅令によって国葬とするという不文律があった。
・民衆の目に「長の陸軍の親玉」と映った山県有朋の国葬は、「民力休養」を求める世論によって寂しいものとなった。
1922(大正11)年2月1日、明治の元勲・山県有朋が世を去った。享年88。9日には日比谷公園で国葬が営まれたが、参列者はわずか1000人ほど。それも大半が軍人であった。1万人分のテントまで設営していた時の政府の思惑は完全に空振りとなり、人々は「ただの軍人葬」と皮肉ったという。
さかのぼること1ヶ月足らず。1月10日には大隈重信が死去(享年83)。17日にはやはり日比谷公園で「国民葬」が営まれたが、こちらはなんと30万人もの弔問客があった。
まず国葬についてだが、明治期には天皇が崩御した場合は大喪、皇族や「偉勲(格別な功績)ある者」は勅令によって国葬とする、という不文律があった。
1926(大正15)年に勅令として公布された「国葬令」はこれを明文化したものだ。オフィシャルには「大正15年勅令第324号」で、この年の12月25日に昭和と改元されたのだが、これは余談。
山県有朋は1838年、長門国阿武郡川島村(現・山口県萩市川島)で生まれた。幼名を辰之助(一説では辰野助)といい、足軽身分である。
もう少し厳密に述べると、足軽身分の中にも格差があって、幼き日の伊藤博文が養子に入った家が「限りなく武士に近い足軽」であったのに対し、山県家の方は、もっぱら身分の高い武士の屋敷で奉公をする、中間(ちゅうげん)と呼ばれる身分であった。
私は現物を見ていないので、伝聞であることを明記しておくが、明治時代に山県が公開した系図がなかなかユニークで、曾祖父もその父(高祖父)も、名前すら分からず「某」となっているのに、反対側から見ると、清和天皇に始まって源氏の嫡流から山県家ができるまで、8代ほどはやけに詳しいのだとか。まあ、ありそうな話だ。
公平を期すために述べておくと、もともと江戸時代の武士など、いわば戦国時代のどさくさで成り上がった者が大半なので、皆が勝手に源氏だの藤原氏だのと名乗っていた。「維新つながり」で言うなら、坂本龍馬の実家は土岐源氏(明智光秀の出身母体である笑)の桔梗紋を家紋としていたし、彼の本来の主君である土佐の戦国大名・長宗我部氏に至っては「秦の始皇帝の末裔」であると称していたほどだ。
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