日本が育てた覇権国家中国 日中国交50年の反省 その1
Japan In-depth / 2022年10月5日 15時0分
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・日中国交樹立前後、国民レベルで友好ムードが高まり、日中友好商社による貿易も活発になり始めていた。
・中国の改革開放後、アメリカや日本はODAを始めたが、アメリカと比べても、「政府の公的資金を贈呈する」日本の援助は異様であった。
・更に日本は「資源ローン」という名称で政府資金から援助を行い、これはODA以上の資金援助となった。
【日中国交樹立前後の緊密な結びつき】
日本と中国が国交を樹立して50年が過ぎた。両国の関係を再考する好機だろう。とくに考察されるべきは日本側のここ半世紀の中国に対する政策がはたして適切だったか否か、である。この点をさまざまな角度から伝え、論じることとしたい。
日本も中国の発展には顕著な、というか、ものすごい貢献をしてきた。日本が中国と国交を結んだのは1972年だった。アメリカの対中国交樹立よりも7年前だった。当時の日本は中国との結びつきも緊密だった。現在とはまるで異なり、国民のレベルでも中国との友好というムードが高まっていた。
中国との貿易も国交樹立の前から活発になり始め、日中友好商社と呼ばれる一群の企業が中核となっていた。ただしその時期は中国側はまだ共産主義体制をかたくなに守り、外国企業の進出は許さず、全体として貿易にもそれほど力は入れていなかった。そんななかで共産主義の中国政府とイデオロギー的にも同調を示した日本側の左派勢力と結びつく形で友好商社が登場して、中国側から特権を与えられて特殊分野での貿易を続けるという時期もあったのだ。
【政府資金から拠出された莫大なODA】
しかし日本と中国との経済での関係が本格的に始まり、それが日本による大規模な経済支援につながっていったのは1979年の中国側の改革開放以降だった。この時点からの日本の中国援助は異様だった。官民あげて中国の発展のために尽くすというようなムードだったのだ。
日本政府は1979年から中国への巨額な資金の提供を始めた。この経済援助は政府開発援助、英語の略称でODAと呼ばれた。Offcial Development Assistanceという政府から他国の政府への経済開発のための援助資金である。本来、アメリカで生まれた対外経済援助政策で、貧しい国の開発を促す人道的な意味も含めた海外諸国への資金供与だった。
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