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日本が育てた覇権国家中国 日中国交50年の反省 その3

Japan In-depth / 2022年10月9日 11時0分

日本が育てた覇権国家中国 日中国交50年の反省 その3




古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)





「古森義久の内外透視」





【まとめ】





・日本政府は天安門事件に関して当初から中国当局への非難をためらった。





・欧米諸国がこぞって中国政府を激しく糾弾する中、日本政府は「中国を孤立させてはならない」という擁護の姿勢だった





・中国外相銭其琛は「日本は西側の対中制裁を打破する際に最もよい突破口となった」と述懐。





 




日中関係の歴史で特筆されるべきなのは、天安門事件後の日本政府の対応である。


天安門事件といえば、周知のように1989年6月4日、北京市の中央の天安門広場に集まっていた民主主義を求める市民たちを共産党独裁政権が自分たちへの否定の抗議と受け止めて、武力を使って大弾圧した出来事だった。人民を守るはずの中国人民解放軍の部隊が逆にその人民を大量に殺したのである。


天安門事件の全体図は全世界に報道されたが、なお中国当局がその6月4日の未明から午後にかけて、いったい何人の市民や民主活動家を殺したのか、正確な事態は闇に隠されたままである。死者は少なくとも数百人、あるいは数千人ともされる。


中国共産党政権はいまもこの天安門事件の真相については沈黙、さらには隠蔽という態度を貫いている。国内でこの事件を語ることさえ、禁じているのだ。だが1989年当時の世界はいっせいにこの事件での中国政府の弾圧や殺戮を厳しく糾弾した。この非難の先頭に立ったアメリカ、そして自由民主主義の主要諸国の連帯だったG7もこの残酷な弾圧行為を非人道的な大弾圧として追及した。


さてこの天安門事件に対して日本がどう反応すべきか。この課題は長い日中関係の歴史でも超重要な試金石となった。だがわが日本政府は天安門事件に関して当初から中国当局への非難をためらったのである。


1989年7月、つまり事件からわずか1ヵ月後に開かれた先進7ヵ国首脳によるアルシュ・サミットでは欧米諸国がこぞって中国政府を激しく糾弾した。そして制裁として中国への経済援助や政府高官交流などを停止することを発表した。しかし日本政府は「中国を孤立させてはならない」という擁護の姿勢だったのである。


当時の宇野宗佑首相はアルシュ・サミットの直前、前任の中曽根康弘、鈴木善幸、竹下登という3人の総理歴任者に意見を聞いたという。すると3人ともみな「日本は中国と最も近く、経済協力関係も緊密だから」というような理由をあげ、対中制裁には反対、あるいは慎重に、という答えを得たとのことだった。


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