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実力の世界とジェンダーについて(上)娯楽と不謹慎の線引きとは その6

Japan In-depth / 2022年10月31日 12時6分

六級から始まり、何連勝もしくは何勝何敗、という規定をクリアするにつれて招集してゆく。二段までは東西つまり関東と関西に分かれているが、三段になると東西合同での総当たりリーグ戦に参加することになる。この三段リーグが半年ごとに行われ、上位2位までが四段に昇段できる。四段以上がプロ、ということはすでに述べた。


入会資格に男女の別はないが、年齢制限はあり、20歳までに初段、そして26歳までに四段になれなければ退会となる。退会勧告ではなく問答無用の規定だ。藤井竜王のように、中学生にして四段になることも可能である一方、多くは挫折してゆく。なにしろ制度上、年間4人ずつしかプロになれないのだから。


早い話が、1928(昭和3)年に東京奨励会、その7年後に関西奨励会が誕生して以来、上記の規定をクリアしてプロになった女性が1人もいない、ということなのである。そもそも女性の入会者が戦後まで存在しなかった。


では女流棋士=女性のプロとはなんなのかと言うと、これも歴史的経緯があって、1960年代に、当時将棋連盟副会長であった大山康晴永世名人らが、女性の将棋人口を増やしていくには、女流だけが参加できるタイトル戦などを開催したり、独自の段位制度を設定するのがよいと訴えた。当初は反対意見も多かったと聞くが、紆余曲折を経て1974年に女流の制度が発足し、第1期生として6人の女流棋士が誕生した。


棋士の場合、連盟に登録される棋士番号というのがあり、女流棋士の1番は鮹島彰子女流三段である。実は彼女は、女性の奨励会員第1号で、初段まで昇進したものの結婚を機に退会したという経歴の持ち主である。


ならば当時の将棋界に、男尊女卑的な考え方はなかったのかと言うと、どうもそうではなかったようだ。後に王位の座にも就く森雞二九段は、鮹島一級(当時)に敗れた際、自分に活を入れるためとして頭を丸めてしまったし、


「タコちゃんに負けたら坊主になる」「師匠に罰金を取られる」


などと公言していた奨励会員は他にもいたと聞く。


そもそも女性初の奨励会員とあって、彼女にだけは指し分け(5勝5敗)でも昇級できるという特別のルールが設けられていた。その森九段の弟子の中から、前述の史上最強と称された里見女流五冠が出たところが、また面白い。


女流の段位の他にも、アマチュアには独自の段級・級位が設けられており、こちらは年齢や性別などに関わらず、将棋連盟が実施する試験に合格すればよい。


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