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忘れ得ぬドーハの悲劇(下) 熱くなりきれないワールドカップ その3 

Japan In-depth / 2022年11月25日 18時0分

 また、現在の日本代表は多くが海外のリーグでプレーしているが、この時点では、まともな海外経験があったのはブラジル出身のラモス瑠偉と、15歳でブラジルに渡り、かの地でプロ契約を勝ち取った経験のある三浦知良だけであった。


 話をドーハの悲劇に戻して、そのラモス瑠偉は、後半残り時間が少なくなり、敵味方の運動量が落ちてきたのを見るや、ベンチに向かって、


「キタザワ!」


 と大声で選手交代をリクエストした。


 北沢豪は「日本のダイナモ」と呼ばれるほど圧倒的な運動量が自慢で、ラモス瑠偉と同じ攻撃的ミッドフィルダーであり、また当時のヴェルディ川崎で一緒にプレーしていた戦友でもある。韓国戦で活躍したが、出場停止明けの森保一が戻ったため、この試合はベンチに残されていた。


 自分と北沢で中盤を支配できれば残り時間を逃げ切ることは十分に可能。そう判断したのだと、本人も後に述懐している。


 しかしオフト監督は、北朝鮮と韓国を相手に連勝した「成功体験」にこだわった。


 中山雅史に代えて武田修宏、長谷川健太に代えて福田正博と、フレッシュなフォワードを投入したのである。


 この選手交代と、期待通りに前線でボールをキープできなかった武田のパフォーマンスが、後々まで批判の的となり、武田を「戦犯」と呼ぶ声まで聞かれたが、公平に見て、これは気の毒に過ぎる。中盤の選手を入れると、相手ディフェンダーの攻撃参加によって、耐える時間がより長く、より厳しくなるということも十分に考えられたからだ。ラモスの思惑通りセーフティーに勝てたかも知れないが、ロスタイムにもつれ込む前に同点にされた可能性もある。「たら、れば」は所詮「ないものねだり」と同義語なのである。


 武田のパフォーマンスにせよ、あわよくば追加点を挙げて試合を決める、ということなのか、時間いっぱいキープして終了の笛を待てばよいのか、指示が徹底されていなかったことにも原因が求められる。


 とどのつまり「試合の壊し方を知らなかった」のは、選手だけではなかったのだ。


 私見ながら以上を要するに、あの日ドーハで起きたことは、悲劇と言うべきではないのかも知れない。当時の日本代表の戦力と経験値を考えたならば、よくぞ最終戦、それもあと一歩のところまで本大会出場に近づいた、と評価できるだろう。


 事実ワールドカップ本大会出場の夢が一度は潰えたが、多くのサポーターは前を向いた。


 個人的な思いを語らせていただけるなら、私自身も「悲劇」を目の当たりにしたことで、むしろ日本サッカーが世界一の座を手にするまで応援し続けよう、という決意を新たにしたものである。


 問題はサッカー界の上層部が、ファンのこうした思いに応えられているのか、はなはだ疑問に思わざるを得ない、ということだ。次回その話を。


写真:カタールのドーハで開催されたワールドカップ予選にてハンス・オフト監督が選手のラモス瑠偉を慰める。


出典:Photo by Etsuo Hara/Getty Images


(つづく。その1,その2)


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