江沢民氏はなぜ日本を嫌ったのか
Japan In-depth / 2022年12月2日 23時0分
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・江沢民は1998年来日時、日本側に「中国への侵略を反省していない」として「歴史の直視」を高圧的に求めた。
・江沢民は訪日の直前、台湾民間人トップに、「普遍的にいえば、ごく平均的な中国人は(いまもなお)日本を痛恨しているといえる」と述べた。
・日本への憎悪が根深い江沢民氏が国家の最頂点に立ったとなれば、国全体の日本への姿勢が非常に険悪になるのも自然。
・中国と台湾の間の「障害」にも日本が関わっているとし、「日本が台湾を撃ち沈まない不沈航空母艦にしたのだ」と語った。
中国の江沢民元国家主席が11月30日、死去した。1989年の天安門事件直後から中国共産党総書記となり、1993年からは国家主席となった。1998年には江沢民氏は来日して、機会あるごとに日本側に「中国への侵略を反省していない」として「歴史の直視」を高圧的に求めた。宮中晩餐会でも同様に日本側への「教訓」を非礼にも指示した。
江氏は中国の国内でも反日教育を進め、各地に日本軍の残虐行為を宣伝する展示を建設した。
私はその江沢民氏が国家主席を務めて、反日政策を推進した1998年から2000年末にかけて産経新聞の初代中国総局長として北京に駐在した。中国側の反日キャンペーンをいやというほど体験した。報道もした。
だがそれにしても江沢民氏はいったいなぜ、これほどに日本に対する負の認識を激しく保ち続けたのだろうか。この点、私は北京での駐在を始めて間もない1998年12月にかなり核心を衝くともいえる報道をした。江沢民氏がなぜ日本を嫌い、憎むのか、という点の由来についてだった。
▲写真:左から江沢民の妻王冶坪と江沢民、明仁天皇とその妻美智子皇后(1998年11月25日 日本・東京) 出典:Photo by noboru hashimoto/Corbis via Getty Images
以下その当時の記事を紹介しながら、解説しよう。江沢民氏の死去という歴史の刻み目に立って、というような意味からである。
『【北京8日=古森義久】1998年十一月下旬の訪日で日本側に「正確な歴史認識」を迫り続けた中国の江沢民国家主席が十月の中台会談で台湾側に対し、戦争の体験に由来する日本人への「痛恨」をいまも抱いているという激しい心情を吐露していたことが八日までに明らかとなった。
江主席はこの会談で台湾問題に関しても、そもそも日本が台湾を「不沈空母」にした歴史の経緯が大きな要因だとして日本を非難したという。江主席のこの種の個人的な対日観の表明は今回の訪日で日本側の官民を驚かせた激しい日本非難の背景の一端を初めて体系的に明示したといえる。』
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