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江沢民氏はなぜ日本を嫌ったのか

Japan In-depth / 2022年12月2日 23時0分

以上が当時の私の新聞記事の冒頭、つまり前文だった。前文では記事全体の最重要点を列記することとなる。そして記事の本文は以下のように続いていた。





『江沢民主席は十月十八日、台湾の「民間」のトップとして北京を訪れた辜振甫(こ・しんぽ)海峡交流基金会理事長と一時間四十分にわたり会談した。同会談の全記録を精読した日中関係筋は江主席がこの会談で日本に触れ、中国一般や自分自身の日本観を辜理事長に対し、熱をこめて語ったことを産経新聞に明らかにした。同日中関係筋によると、江主席はこの会談で中国と台湾の間でも当然、歴史が論じられるべきだと述べ、歴史となるとどうしても抗日戦争(日中戦争、一九三七−四五年)の問題に触れざるをえないとして、江氏自身が上海の大学生だった一九四三年(昭和十八年)ごろの日本の軍事行動に関連して、抗日運動の重要性を強調した。そのうえで江主席はまず「(日本軍の中国占領のために)普遍的にいえば、ごく平均的な中国人は(いまもなお)日本を痛恨しているといえる」と述べたという。同日中関係筋はこの場合の「痛恨」という言葉は日本語よりもずっと意味が強く、「ひどく憤りを感じる」とか「心から憎む」というまでの激しい憎悪の感情をも表現する、と解説している。』





つまり江沢民氏は若いころから日本や日本人を心から憎んでいた、というのだ。記事の続きをさらに紹介しよう。





『同筋によると、江主席はさらにこの中国人一般の対日感情描写のすぐあとに辜氏に対し「私も日本人を痛恨している」と熱をこめて明言し、自らも日本人への激しい否定的な感情を抱いていることを率直に吐露したという。江主席はまた学生時代に日本語を強制的に学ばされたことをも回想し、自分が他の外国語がわりに上手なのに日本語が未熟なのは、日本への当時の強い反感のせいでまじめに勉強できなかったからだという趣旨をも強調したとされる。同筋はさらに江主席がこの会談で台湾問題として存在する中国と台湾の間の「障害」にも日本が関連しているのだと述べ、「日本が(台湾統治を通じて)台湾を撃ち沈まない不沈航空母艦にしたのだ」と語り、日本の過去の役割を非難したことを明らかにした。「不沈空母」という言葉は台湾が独自に軍事力を持って中国と対峙(たいじ)しうるという解釈以上には具体的な意味は不明だが、江主席は辜氏に対し「日本がそもそも台湾を不沈空母にするアイデアをつくり出し、そういう位置づけを始めたのを米国が引き継いで、現在にいたっている」と述べたという。』





このように江沢民氏の日本への憎悪はきわめて根深いのだった。そうした人物が国家や政権政党の最頂点に立ったとなれば、その国全体の日本への姿勢が非常に険悪になるのも自然だったといえよう。





なおこの江沢民氏の日本への恨みや憎しみを率直に表明した記録は以下のように扱われたという。





『同日中関係筋によると、江沢民・辜振甫両氏の会談は内容をすべて録音することが合意され、会談後にそのテープを筆記して、笑い声や歌声までが入った会談の生き生きとした全記録が文書として作成された。記録作成用には台湾側テープが使用されたという。同関係筋は中台双方の少数の関係者に配布されたその全記録を精読したという。』





トップ写真:天安門広場を見下ろす習近平(2022年10月1日 中国・北京) 出典:Photo by Andrea Verdelli/Getty Images




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