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日本人とビール 酒にまつわるエトセトラ その4

Japan In-depth / 2023年1月23日 15時54分


▲写真 1940年バドワイザー広告(アメリカ)出典:Photo by Jim Heimann Collection/Getty Images


いずれにしても、日本で最初の商業ベースでのビール醸造は、資料によって明治元年とあったり3年とあったりするのだが、ウィリアム・コープランドという米国人が、横浜・山手の外国人居留地において「スプリング・バレー・ブルワリー」を設立したことに始まる。このブルワリーが1907(明治40)年に三菱財閥の傘下に入り、麒麟麦酒という日本国籍企業となった。今でも英米では「ミツビシ・ビール」と呼ばれることがままある。


話を戻して、純然たる国産ビールと呼べる製品が登場するのは1872(明治5)年で、渋谷庄三郎という人物が大阪で「渋谷麦酒」を設立したのが皮切りである。続いて1876(明治9)年には、北海道開拓使が「札幌麦酒製造所」を設立した。


札幌麦酒製造所のその後については説明不要であろうが、渋谷の方は1881(明治14)年、創業者の死去にともなって生産を中止した。


その後、比較的短い期間で100近くもの醸造所が各地に誕生したが、これは主としてふたつの理由によるものだ。


ひとつは、文明開化とともに登場した新規な酒であったことから「ハイカラさん」たちが好んだという理由で、いまひとつは、おそらくこちらが主たる理由であろうが、明治初期にはビールに税金が課せられていなかったことである。昭和初期の軍国主義時代に、軍備増強のための大増税が断行され、ビールにも課税されるようになった。この背景には「防衛力強化のため」という大義名分以上に、日本酒の醸造業者から「不公平だ」との突き上げがあったらしいのだが。        


そのような国産ビールが大々的に輸出されるようになったのは、第一次世界大戦がきっかけであった。ヨーロッパが主戦場となったこの戦争で、日本は戦時輸出で大もうけしたため「成金」という新しい日本語まで登場したが、ビール業界も例外ではなかった。



▲写真 昭和27年朝日ビール広告 出典:Photo by Swim Ink 2, LLC/CORBIS/Corbis via Getty Images


ヨーロッパ産のビールを調達できなくなった米国やアジア諸国が、一斉に日本から買い付けた結果で、戦争前の1913年と、終戦の年となる1918年を比較すると、ビールの輸出高は222倍にもなっている。


さらには1920年代に入って、米国で禁酒法が施行され、ビールの醸造設備が不要となってしまったことから、機械を安値で輸入し、新たにビール業界に参入する会社も増えた。


今では「とりあえずビール」というのが居酒屋での常套句になるくらい、日本人の生活に根付いているが、その歴史が戦争や「軍拡増税」と不可分であったというのは、いささか引っかかる。


酒は静かに呑むべかりけり。酒を楽しむ平和な日々が失われないことを願うのみだ。


(その1、その2、その3)


トップ写真:東京湾を周遊する屋形船の船内で宴会をする人々(2016年6月11日)出典:Photo by TomohiroOhsumi/GettyImages


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