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神も仏も酒が好き(上)酒にまつわるエトセトラ その5

Japan In-depth / 2023年1月30日 11時41分

とは言え本稿では、日本で醸造された酒という意味で「日本酒」と呼び、税法上の定義には囚われないことを、あらかじめお断りしておく。清酒については、後であらためて触れる。


いずれにしても、日本において酒と言えば米が主原料であることは事実で、その起源は稲作の伝播と同時くらいであったろうと考えられている。


ただ、文字が日本にもたらされたのは稲作の伝播に遅れること数世紀となるし、近年では考古学の発展とともに、過去の定説が次々と覆されているので、今のところは不明な点が多い。将来は、稲のDNAなどが詳しく調べられ、色々なことが分かるようになりそうだが。


話を戻して、古代日本に関する文献としては、もっとも有名であろう『魏志倭人伝』にも、


「倭人は酒を好み、客を酒でもてなすことを特に好む」


などとあるので、3世紀(同書の刊行は西暦280年頃とされる)の日本列島では、すでに飲酒が生活の一部になっていたことがうかがえる。


 やがて日本列島にも国家と呼ぶべき物が形成され、律令制の時代を迎えるが、その律令において、酒の醸造や節会(季節ごとの節句に宮中で開かれる宴会のこと。〈せちえ〉と読む)の手配をつかさどる役所が設けられ、造酒司と呼ばれた。


読み方は「みきのつかさ」「さけのつかさ」のどちらでもよいらしいが、正式には前者であったと考えられる。


と言うのは、古代、酒は神々に捧げるもので、加熱した米をよく噛み、唾液によって発酵させていたが、その役目は巫女が担っていたことが資料で分かるからだ。今でも儀式で振る舞われる酒を「御神酒(おみき)」と呼ぶのも同じ語源であるし、もともと造酒司が設置されたのは、天皇家に酒を供給するためであった。


すると、庶民は酒を飲めなかったのだろうか、との疑問を抱く読者もおられようが、その答えはイエスでもありノーでもある。


飛鳥時代や奈良時代には、幾度となく農民に対して禁酒令が出されていたが、五穀豊穣を祈る祭礼など例外は認められていた。酒は神事と不可分であり、単に「飲み物」とは考えられていなかったのだ。


一方で、米麹を用いる醸造法は奈良時代に中国から伝わっていたが、逆に言えば、それ以外の醸造法や、木の実や果実を使う酒造りに関しては、とりたてて規制もなかった。


さらに言えば、ビールが好まれた西アジアや南ヨーロッパと違い、日本列島は湿潤な風土で、生水は危険だという認識もなかったから、禁酒令に背いてでも、という人が少数派にとどまっていたとしても不思議はない。


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