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神も仏も酒が好き(上)酒にまつわるエトセトラ その5

Japan In-depth / 2023年1月30日 11時41分

ただ、その後の平安時代に入ると、律令制のタガが緩んだ結果、造酒司が蓄積したノウハウや、職人の「頭脳流出」が相次ぎ、神社や仏教寺院が独自の酒造りに乗り出す例が増え始めた。高野山で造られる酒は特に評判がよかったとされるが、と言うことは、この頃すでに酒を消費財と見なす傾向がみられたのだろう。


鎌倉時代に入ると、今風にいえば「民間の醸造所」がいくつも出現し、本格的に酒が消費されるようになった。鎌倉体制下の守護大名や御家人は、領地で醸造される酒に税を課していたので、飲酒を悪徳と見なす考え方も、すっかり鳴りを潜めたようだ。


その後、鎌倉幕府は滅亡して室町時代、さらには戦国時代が始まるが、この過程で、室町幕府の権威が衰えたため、近畿地方における酒税の徴収を比叡山延暦寺が代行していたという記録もある。


多くの仏教寺院に「葷酒山門に入るを許さず」という札が掲げられている(葷とはニラやニンニクなど、香りのきついもの。性欲を増進させるからであるとされる)のだが、仏教世界においては、日本ほど飲酒におおらかな国は珍しい。京都の祇園で、得意客の中に僧侶が占める割合が高いのは、知る人ぞ知る話だ。


いずれにしてもこの当時、酒といえば醪(もろみ)がそのまま残った「どぶろく」である。


酒造メーカーの資料などによれば、今では「どぶろく」と「濁り酒」は別物と定義されているようだが、その話はさておき、無色透明に近い「清酒」が登場するのは、もう少し時代が下ってからである。


次回、清酒の普及から「SAKEブーム」に至るまでの話をさせていただく。


(つづく。その1、その2、その3、その4)


トップ写真:日本酒のボトル 出典:Photo by Buddhika Weerasinghe/Getty Images


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