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「南北分断」解決の歴史「高岡発ニッポン再興」その51

Japan In-depth / 2023年2月4日 11時0分

「南北分断」解決の歴史「高岡発ニッポン再興」その51




出町譲(高岡市議会議員・作家)





【まとめ】





・日本には駅で分断されている都市が多く存在する。





・富山市では関係者の奮闘により100年かけ南北接続が完成した。





・まちづくりのように、将来を読む力、グランドデザインを描く力は大事だ。





 




日本では駅で分断されている都市は多くあります。高岡市もそうですね。新しく高岡駅ができましたが、南北を通じるのは、駅に入り階段を上って改札のある自由通路です。万葉ロードと呼ばれています。


私はこの通路でジョギングしていますが、北側と南側の風景の違いに、ため息が出ます。線路が高架化され、南北が繋がれば、街の風景が一変するかもしれない、と勝手に夢想します。平面で電車やクルマ、徒歩で自由に行き来できるからです。


  高架化されれば、街はどうなるのでしょうか。先日、富山市を改めて視察しました。 やはり路面電車が平面で南北接続されているのは、便利でしたね。5分から15分ぐらいの間隔で運行されています。多くの利用者を見かけました。


路面電車は3年前に南北接続したのです。それから、街の風景が変わりつつあります。2021年度の調査によれば、南北をまたぐ路面電車の利用者が平日に約2.4倍、休日に約2.8倍に増加しました。また、地価にも影響しています。去年の地価調査で、富山県内で最も上昇率が高かったのは、富山駅北口徒歩1分の商業地でした。7.5%上昇したのです。駅の北側は変貌しつつあるのです。


富山駅は1908年に開業しましたが、それ以来の悩みは「南北分断」でした。


富山駅の高架化には長い歴史があります。富山市は空襲で市街地は焼け野原になりました。その被害は、広島、長崎の原爆を除けば、最大級でした。


元県庁幹部で、現在氷見市長の林正之さんは「昭和20年代に駅南を中心に一帯約550haが戦災復興区画整理で整備されました。これにより駅南が発展してきました」と分析しました。


林さんによれば、次にポイントとなったのは、昭和62年の国鉄民営化です。駅周辺の鉄道跡地が不要となり、駅北62haの開発が行われました。富山駅北の新たなまちづくりをしようと昭和63年からスタートした「とやま都市MIRAI計画」です。


この事業がほぼ完成した平成8年から、富山市は、鉄道で分断された南北市街地を一体化したいと強い意向を示しました。そこで、県、市で勉強会を開始し、鉄道の高架化しかないとの結論に達しました。国に働きかけ、すでに富山駅周辺では鉄道は平面、3本の道路が地下式で整備されており、高架化は困難な状況でした。


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