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高岡を愛した人気ラーメン店「翔龍」経営者の突然死「高岡発ニッポン再興」その57

Japan In-depth / 2023年3月17日 19時0分

母は浅野さんの生き方と姿にほれ込み、「こんなすごい人に会ったことはない」。母曰く、「マスターは『老人と海』の老人みたい」。「老人と海」とはヘミングウェイの代表作。確かに浅野さんは、映画版に出ている主人公に似ています。





浅野さんは北海道猿払村出身です。ホタテで有名な村。“貧しい村”だったのですが、当時の村長らの手腕で“富める村”になりました。「猿払村の奇跡」と言われています。そこで生まれ育ち、お父さんは漁業をやっていました。奥さんと知り合い、高岡に来ました。





30年ほど前に始めたラーメン店。店をどんどん大きくし、現在は巨大な店舗です。1日1000食ほどの売り上げを出す、人気ラーメン店です。





「自分は、高岡では『よそ者』。いろいろ苦労もしたけど、自分を育ててくれた高岡に恩返しをしたい」。そんな話を何度も聞きました。





ある時、私が子ども食堂の手伝いをしていることから、浅野さんは「自分も子ども食堂に何かをしたい」と言って、我が家に来ました。





私は、長年にわたって子ども食堂を手掛けている方を紹介。浅野さんは、ポンとお金を出すのではなく、お店で出しているチャーシューを用意。子ども食堂の現場で、「翔龍」の店員がチャーシュー丼をつくりました。およそ300食分の無償提供です。私も現場にいましたが、子どもたちは大喜びでした。





浅野さんは、戦後の混乱期、父親が子どもたちに食料を分け与えていたことを思い出し、子ども食堂のお手伝いをしたいと思ったそうです。





「高岡に恩返ししたい」。閉鎖的な高岡で、ラーメン一本で生き抜いた浅野さん。高岡を元気にしたいという熱い思いを持ち続けられました。「翔龍」に勤めた人が高岡で次々にラーメン店を出しています。猿払村出身の浅野スピリッツは、高岡で広まりつつあるのです。





私は、浅野さんの思いを実現するため、必死に仕事をしなければなりません。合掌。





トップ写真:御旅屋こども食堂で。浅野さんと筆者 提供:筆者




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