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「セメント王」浅野総一郎③ 「銀行王」安田善次郎が救世主に

Japan In-depth / 2023年5月4日 11時0分

大正2年8月に埋め立て工事が着手された。総一郎は66歳になっていた。海外視察の後に、東京湾の埋め立てを言い出してすでに17年。執念で夢が実現した。





総一郎を支えた安田善次郎は安田財閥の創業者で、「銀行王」として知られる。東大の安田講堂や日比谷公会堂を寄付したが、匿名を貫いた。「寄付は名声を得るためにするのもではない。陰徳でなくてはならない」という考え方だった。生前はこうした寄付については一切口をつぐみ、「陰徳の人」と呼ばれた。ただ、融資に対する姿勢は厳しく、ケチという悪評も付きまとった。安田にしてみれば銀行のお金は「人様から預かった大事なお金」。それを貸し出し、焦げ付かせるわけにはいかない。どんなに親しい友達が融資をお願いしても、事業をチェックし、自分の人物で見て、「返済能力なし」と判断すれば、”冷酷”に断った。





それでも、見込んだ人には、融資した。その安田が最も期待した企業家が浅野総一郎だ。たまたま同じ富山出身だが、同郷意識で融資したわけでない。総一郎の事業の採算性をチェックし、人物を信頼したからこそ、動いた。





それにしても、銀行融資の理想的な姿がここに浮かび上がる。企業経営者は自分の事業計画をもとに、銀行家を説得する。銀行家は経営者の事業を徹底的にチェック。さらに経営者本人の能力や人柄なども踏まえ、融資の可否を判断する。日本経済を発展させたのは、こうした銀行と企業との関係ではないだろうか。





(つづく。①、②)





トップ写真:安田善次郎、天保9年10月9日〜大正10年9月28日(1838年11月25日〜1921年9月28日)出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 




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